定点観測17年、5月1日〔6225〕2020/05/01
2020年5月1日(木)晴れ
今日から5月。初夏。新型コロナウィルスが紫外線に弱かったら嬉しいけど・・
それはさておき定点観測。
17年前の、今日。2003年5月1日にご紹介したのは、ここ。江ノ口川から新堀川が分岐するところ。新堀川と横堀の関係については以前にも書いたから、今日はやめちょきまして、刎ね橋の話ね。
ここでは、かつて新堀川が川面を光らせ、シオマネキやアカメが踊っていました。ここを道路にするという計画は、僕らが子供の頃の都市計画に盛り込まれてたのでした。知らんかったけど。
当時、江ノ口川は西日本一汚ないとも言われた、真っ黒い川。川底のヘドロからポコッポコッとメタンの不気味な泡が湧き上がり、ウルトラQのオープニングみたいな様相を呈しておりました。
その江ノ口川とつながる新堀川も汚染し、臭かった、あの時代。
臭いものに蓋。そういうことだったんでしょうか、この新堀川とつながる堀川は、堀詰から四ツ橋まで埋め立てられ、はりまや橋の下は川ではなくなった。
この新堀川も埋められ、広い道路になる都市計画でした。
しかし、旭の製紙工場は環境汚染問題が解決できずに廃業し、江ノ口川も少しづつキレイさを取り戻す。そんな中、この、藩政期の姿をそのまま留める新堀川を埋めてしまうのはやめて欲しい、という運動がおこる。しかし、なんでか知らんけど、一度たてられた計画は簡単に引き下がらない。結局、埋めるのはやめて暗渠にし、下に川の流れを残す、ということになり、工事が始まることになったのでした。
この刎ね橋と水門の写真を撮った、翌年のこと。兆民通りの石が、少し悲しい。
2007年、地元の西岡さんが中心になって、取り壊される雁木にキャンドルを並べてキャンドルナイトが開催されました。でも、工事は止まらない。2008年7月、工事は進む。刎ね橋は撤去され、2003年の風景がこんなになったのは、2009年4月のこと。新しく江ノ口川に架けられた橋の上から見ると、こうなって、2011年2月には、こんなになった、ここの風景。
17年前に写ってた、刎ね橋の親柱は、こんなになりました。その時の記事に、なんであそこが「刎ね」橋だったのか書いてるので、ご興味のある方は、どうぞ。
今朝の写真は、朝5時頃。まだ、車もほとんど通ってない、静かな静かな新堀川(だったところ)。
この道、はりまや橋小学校のところで、工事が中断されてたけど、そこから南の工事が、また始まりそうな気配。
こういう都市計画って、住む人たちにとっては、なかなか難しい問題を包含しています。昨年11月、新堀川の、暗渠になる部分を探検してきました。あの写真も、また、貴重なアーカイブになるんだろうか。
そんなことを思いながら、17年のタイムトラベル。
今朝は、17年の歳月をズシリと感じさせる、定点観測。