居徳、縄文晩期の風景〔6170〕2020/03/07
2020年3月7日(土)晴のち曇りのち雨
お天気下り坂。明日の日曜は晴れるみたいっすね。でも、明日の日曜市は中止。新型コロナ禍は広がるばかりだけども、どういった終息の仕方になっていくんでしょうか。気になるところ。
ともあれ、僕らにできるのは、こまめな手洗い、除菌、そして免疫力向上。極端に心配とかしてると免疫力が落ちるので、キチンとした手洗い対応をした上で、落ち着いて笑って過ごすこと。笑いが免疫力を向上させることは、もう、科学的に証明されてます。
もちろん乳酸菌が免疫力を高めることも、証明されてます。まずは世の中の「証明されてること」を実践しよう。落ち着いて落ち着いて。
今日は、会社の用事で土佐市。四国八十八ヶ所三十五番札所、清瀧寺の南麓。ここは居徳(いとく)という地域。清瀧さんの山から南へ伸びる尾根。その尾根の先っぽ界隈に、縄文末期から弥生にかけて、集落が営まれました。人骨を含む、たくさんの遺物が出土した居徳遺跡。
削平されてかなりの部分がわからんなっているという居徳遺跡ですが、高速道路工事の際にも、かなり重要なものが出て来ております。
中でも人骨は、重要。酸性土壌の日本において、また、高知において、人骨がでてくるというのはとても珍しい。酸性土壌の中では、人骨は溶けて土と同化してしまうから。この北側は秩父帯の南端。まさにここを仏像構造線が走り、その北には秩父や稲生と同じ石灰岩層だ。そう。アルカリ性土壌。そこから流れ出してくるアルカリ性の水が、その人骨を現代まで保存してくれたんだと思う。思います。
出土したのは9人分、15点。そのうち3体分には、なんと、金属器によるものと思われる傷や、ヤジリの貫通痕があった、というから、話題になりました。
まだ、はっきりとした階級や貧富の差がなくて、比較的平和な時代とされてた縄文時代に、殺傷痕。縄文のイメージをひっくり返す大発見、と、話題になったりした居徳遺跡の人骨ですねー。
この十字の場所から南を眺めてます。アナグリフを見てみると、こう。
たぶん、縄文の頃は、高速道路の南側まで尾根が伸びてて、その上に人々が暮らしてたんだろう。仁淀川の氾濫原に突き出た丘の上。
今から2500-2800年前、と言います。その頃の風景を想像してみよう。ちなみにここからは、縄文晩期の木製の鍬が出土してるのでも、有名。じゃあ、弥生ぢゃないか、という話もあるね。
広々とした仁淀川の氾濫原。その地平から昇る太陽。
丘の上に点在する竪穴式住居からは、炊きの煙がゆらゆらと立ち上る。
木製の鍬をかついだ男が、丘の斜面をゆっくりと降りてゆく。
泥田で遊ぶこどもたちの笑い声。叱る母の甲高い声が、谷間に響く。
平和な村。平和な朝。
その暖かい静謐な空気を突き破るように、突然。北西側の山に雄叫びが響く。数十人の、身体中に文身を施した男たちが斜面を駆け下りてきた。その右の手に握られた武器が、昇り始めたばかりの太陽を反射して煌めく。
逃げ惑う人々の背後から、幾本かの矢が射掛けられた。
妄想はこれっぱあにしちょいて、さあ、マスクして仕事仕事。