坂の上の一軒家と、五六頭の牛と、牛乳〔6169〕2020/03/06
2020年3月6日(金)晴れ
今朝も東京。昨日は仕事で埼玉、行田方面へ行ってましたが、強風で電車のダイヤがかなり乱れてました。カラっ風なのかどうか知らんけど、冷たく強い北風が吹き荒ぶ関東の平野。
今朝も5時半から走ってきたけど、風、強かったです。
あんましヒトと濃厚接触せんような場所を、走る。
西新宿から代々木公園の西側を通って、渋谷ね。武蔵野台地のウネウネを自分の足で体感する楽しさよ。初台って、その名の通り台地の上ということ、よくわかりました。
そして渋谷。
この地図を見て、このアナグリフを見てみてください。東京の起伏を見ると、赤坂麻布界隈と、そして渋谷界隈の起伏が激しいこと、わかりますよね。その渋谷。
こないだ、「東京の三十年」という本で、田山花袋が明治10年頃から明治40年頃までの東京の風景、社会を描いてるということ、書きました。その中でも、渋谷を見下ろす台地の上に一人住む、国木田独歩との邂逅、そして交流の場面は秀眉。
その本今日は持ってきてないけど、思い出しながら、たつくってみました。やはり、自分の足で歩いてみると、描かれた場所のこといがよくわかる。すごい。
国木田独歩住居跡の標柱が立つのは、ここ。NHKの南。NHK側から見ると、台地の斜面にあるように見えます。その場所には、今、アムウェイの大きなビル。国木田独歩さんも、まさかアムウェイになるとは思うてなかったろうね。
そのアムウェイのビルの南側へ回ってみると。おう。台地の上、ということがよくわかる。
「斜坂の紅葉や若樹を透して、渋谷方面の林だの水車だのが一目に眺められた。」
とある風景は、ここから見た風景だったのか。
始めて田山花袋が渋谷の駅の方からこちらへやって来たとき。再掲しますと。
「私たちは水車の傍の土橋を渡って、茶畑や大根畑に沿って歩いた。」
「少し行くと、果たして牛の五六頭ごろごろしている牛乳屋があった。」
「紅葉や植え込むの斜坂の上にチラチラしている向こうに、一軒小さな家が秋の午後の日影を受けて、ぽつねんと立っているのを認めた。」
この眼下の谷筋を歩いてこちらへやってくる。谷筋では牛が飼われている。この丘の上の一軒家を認める。
この一連の風景は、まさにこの写真の風景と重なっているのではないか。そう思って、ちょっと感動した渋谷の朝。この眼下で飼われていた乳牛。
「武蔵野」で美しく描かれた風景も、ここにありました。
花袋と独歩が散歩したのは、家の裏手の林や丘や草藪、池。現在の神南小学校から東急ハンズに至る界隈が、それ。そう思って歩いてみると、まだ夜の続きの若者があちこちで屯ろってる街だけども、その頃の風景が見えるような気がしてくるから、不思議です。
独歩は、丘の下の牛飼いさんに声をかけて、牛乳をもらってきて花袋と一緒に飲んだりしてます。
そう。ここはそんな場所だった。
明治の若き貧乏文士は、ここで牛乳を飲みながらなにを思ったのだろうか。
新型コロナの影響で学校が休みになり、こないだ書いたように酪農家さんもピンチ。
明治の貧乏文士たちも飲んでた、牛乳。今こそみんなで飲んで、コロナなんぞを駆逐しよう。