愛知県新城市〔6121〕2020/01/18
2020年1月18日(土)
愛知県新城市。しんしろし、と読みます。
昨日は夕刻まで東京でお仕事。商談が済んで、2トン車を停めてた川口の駐車場を出発したのが夕方の5時半。そこからスマホナビの言うとおりに走って、東名高速へ向かいました。
そして例の山手トンネルの中で、渋滞。人生初の首都高渋滞でしょうかね。いやー、東京の渋滞ってのは、なかなか激しいっすね。高知の道とは違います。当たり前だ。
で。やっと渋滞を抜け出すと、あとは快適に東名、新東名と快調に走りました。途中から、雨。新東名はまだまだ工事中の区間があって、2車線で時速80キロ制限のところも多いけど、途中のあの「時速120キロ制限」の区間は、すごいね。いや、すごい。世の中、こんなことになってたのか、という感じ。新東名は路面もきれいでスピード出しても揺れない。トラックだらけなのを我慢すれば、走りやすいです。自分もトラックやけど。
さて。昨夜9時過ぎに、愛知県までたどり着きました。東名高速だと、愛知県に入ったら豊川稲荷のところへ出ます。が、新東名は山中を走るので、愛知県最初の町は新城市。しんしろし。ご存知ですか?
僕ら四国の人間には、あんまし馴染みがないと思う新城市。昨夜は、その新城市にホテルを取って、泊まったのでありました。大浴場もあって、気持ち良かったです。
こんなことでもないと、泊まったりすること絶対になかった新城市。そもそも、知らんかったですもの。どんなところかご存知ない高知県民のみなさんの為に、仕入れたばかりの知識をご披露しましょう。
一番有名なのは、長篠の合戦でしょうかね。そう。織田信長と武田勝頼の軍勢が激突し、騎馬軍団の時代から鉄砲作戦の時代へと時代を画期させたとも言われる、あの長篠の合戦。まあ、最近の研究では一概にそうも言えん、という話もいっぱいでてきてるけど。
その合戦の舞台となった古戦場とか長篠城趾とかは、新城市街地の東方面にあります。
で。市役所があってその南に、新城市立新城小学校が、あります。ここ。ここが正門前。シャッタースピードの関係でぶれてるけど、僕です。心霊写真ではありません。
そもそも長篠の合戦は、奥平信昌が本拠とする長篠城を武田軍が包囲殲滅せんとしたことから始まります。奥平軍を援護するために駆けつけた織田軍と、武田軍との激突。
結果はご承知の通りね。
で、頑張った奥平くんは、家康の長女亀姫を娶ることになり、長篠城にかわる新しいお城を築くことに、なる。それが、新城城。と、ネット情報には書いてました。
新城でよくないか?
新城城って、どうなの?知らんけど。
その新城城(新城?)が築かれた場所が、この小学校の場所なんだそう。Googleマップで見たら、単なる平城に見えるけど、行ってみたら違いました。
学校の南は段丘崖。川に向かって、標高差は30m。段丘崖の上、端っこにお城を築く、というのは常道中の、常道ですね。やっぱし現地行ってみるとよくわかる。
現地、と書いたけど、新城の現地、まさか行くことになるとは、昨日までは想像もしてませんでした。人生の不思議。
早朝起き出して、そんな新城を楽しむ。いや、貴重な機会、貴重な体験。人生って面白い。
面白がってる場合ではなくて、今から高知へ帰らんといけません。6時間はかかりますきんね。2トン車で。
帰ったら会合と、夜は懇親会。長い一日が、始まる。さあ。頭も身体もリフレッシュできました。
張り切って、運転と、仕事!