走り初め、天満宮〔6108〕2020/01/05
2020年1月5日(日)晴れ
今朝もそんなに冷ようないです。もちろん氷点下にはなってない。この冬、まだ氷点下になっていない高知市南国市。さて、どうなるんでしょうか。
このお正月は何かと忙しくって、走る時間がありませんでした。いっぱい飲んだし食べたし。そんな訳で、今朝、今年初めてのRUN。夜明け前、真っ暗い時間から走ってきました。
まずは、鏡川沿いを走って天神橋。天神橋を渡り、潮江天満宮さんへ。新年も5日になると、もう静かなものね。露店も姿を消し、夜明け前には参拝客も一人もいません。猫が一匹、目の前を通り過ぎてゆく。静かな静かな天満宮。
それでも、正月用の飾りやお供え。そして煌々と照らされた、参道。
誰もいない静かな天満宮で、静かに静かにお参りしてきた新年5日目。
昨日、土佐史談会の今井副会長さんが、戦前の天満宮が写った絵葉書や、明治期の天満宮の絵図などを、FBに上げておられました。それを見ると、今の姿とはちょっと違いますな。
天満宮の拝殿は、昭和3年に一度放火で焼失し再建。そして昭和20年には戦災で焼失。その後再建されたのが、現在の拝殿。
明治期の写真見ると、拝殿前の参道に大きな鳥居が見えます。どうやら、今は天神橋から参道へ入って2つ目の鳥居、明治三十三年と刻まれた鳥居が、戦前には拝殿前の参道にあったようです。
写真は今朝の拝殿前参道。絵葉書によると、この参道の北には台座に乗った神馬。そう。天満宮にも神馬がありました。ブロンズ像なので、たぶん、戦争での金属供出で溶かされてしまった神馬。
戦前、神馬は見えるけど、現在のような牛の臥像は見えません。
そして飛龍梅も、見えない。
太宰府天満宮には、道真公ゆかりの飛梅があるけど、現在の潮江天満宮には飛龍梅があります。古木なんですが、戦前の絵葉書や絵図には見えない。謎です。
牛の臥像も、太宰府天満宮を始め、全国の天満宮に鎮座ましますが、戦前の潮江天満宮に鎮座してたかどうかは、やはり謎です。調べてみんと、いけません。
あと、明治期の絵図では、今は本殿西側の小山の上に鎮座まします大山祇神社さんが、山裾の白太夫社や早良宮と並んで描かれてるし、並んでる順番も違う。
神社仏閣は、昔から、変わらずにそこにあると思いがちだけど、やはり年月の間に配置や在り様が変わってきているのであります。そう。コーヒー牛乳の味は、昔と変わってないと思いがちだけど、昔に比べたら砂糖の量はずいぶんと減っているように(笑)
お正月の潮江天満宮から筆山、高見山、北中山と縦走し、神田へ下って鏡川。
走り初め。ああ。とても気持ち良かったー。
家に帰ってシャワー浴びて、恐る恐る体重計に、乗る。お正月はどうしても暴飲暴食になるので、とても心配してました。が。増えてなかったっす。さあ。今年もリバウンドしないように頑張る意欲が湧いてきました!