長浜ラーメンの35年〔6075〕2019/12/03
2019年12月3日(火)晴れ
昨日は、福岡で、酪農乳業関係や食文化研究者のみなさん達と、濃密な時間を過ごさせて頂きました。日本の酪農乳業の歴史、経緯、そしてこれからのこと。
大変勉強になり、これからやるべきことなど、考えるきっかけとなりました。ヨカ時間を過ごしたバイ。←博多弁のつもり
早めにホテルへ帰れたので、早めに寝て、今朝は4時起き。博多駅前から中洲、天神、そして平和台球場跡地から大濠公園、長浜界隈と走ってきました。
どうしても長浜ラーメンが食べたかったから。
スペシャルダイエット成功の後、なんとかリバウンドせずに頑張っている今日この頃。出張が続くと、どうしてもカロリーオーバーになってしまいますな。なので、普段はラーメンなど、食べんようにしてます。でも、たまに、無闇に食べたくなるのがラーメンの魔力。
そんな訳で久しぶりのラーメンは、好物の長浜ラーメンにしてみたのである。あります。ああ。おいしかった。
このにっこりでも、幾度かご紹介してますね、長浜ラーメン。
初めてご紹介したのは2004年11月だから、今から15年前だ。あの頃、長浜の屋台は信じられないくらいの賑わいを見せてたと言います。僕が走るのは早朝なので、すっかり撤去されてるけど、夥しい屋台が営業してた痕跡は、ハッキリくっきり残ってました。
2度目は2008年だから11年前、3度目が2013年で6年前。
どうやらその頃が、長浜屋台の転機になったようです。
6年前に営業してた屋台は15軒。その2013年、市によって屋台基本条例が制定され、営業時間とか広さのルールが厳格化されたんだそう。歩道の幅を確保できない、ということで、150m離れた場所への集団移転も実行されたという2013年。
そうなると、もうやってられんばい、ということで廃業移転する店が続出したんだって。
現在営業してる屋台は、なんと4軒らしい。屋台街とは言えんなった、長浜。
確かに、博多や天神に比べると、遠い。近くに地下鉄の駅がない。
お店の数が減ると賑やかさがなくなって、楽しさがなくなって、ますます客足が遠のくという負のスパイラル。難しいもんですね、なかなか。
今はこういった常設店へラーメンを食べに来るお客さんが多くなってしまった、長浜。
まあ、おいしかったから、いいです。
初めて長浜でラーメン食べたのは、1984年のこと。
大学のゼミの卒業旅行で、東京からレンタカー(日産プレーリーだった)借りて九州へやって来ました。その時、屋台ではなかったけど、長浜の小さなお店でラーメン食べました。
お店のテレビでは、地元福岡出身で全国デビューしたばかりのグループが歌っており、全国区で人気が爆発しているとのことでした。
そのグループの名前は「チェッカーズ」。
35年前のこと。