富士見館の40年〔5978〕2019/08/28
2019年8月28日(水)小雨
九州の方は大雨になってるみたいです。被害のないことを、心よりお祈りします。
今朝は嶺北。土佐郡土佐町へ来てます。
この土佐町を中心として、酪農家さん5軒で形成されてるのが土佐町酪農組合さん。その酪農組合さんが生産する生乳は、実は、今までは県外の某メーカー工場へと運ばれてました。それがですね。この9月から、つまり数日後から、弊社の工場で受け入れを始めることとなったのであります。
生乳がどのメーカーのどの工場に運ばれるか。それは、なかなか複雑な問題でございまして、簡単に述べる訳にも参らんのですが、とにかく嶺北の生乳は、ひまわり乳業南国工場で処理することとなりました。
そんな訳で、今朝は、来てます。土佐町。
僕が初めて土佐町に来たのは、高校生のとき。
友人と二人で、汽車とバスを乗り継いで、やって来た。そして、泊まったのが富士見館だ。この旅館。早朝起きだして、大川村へ、そして白滝鉱山の廃鉱跡へ向かったのでありました。今日みたいな雨のお天気で、途中、通りかかった車をヒッチハイクして白滝まで行った思い出は、以前にも書きました。乗せてくれた、車をぶっとばすおじさんが、実は大川村の現職村長さんだった話。そして40年後、その村長さんの息子さんと、高知の街の居酒屋さんでバッタリ出会った話。
初めて土佐町へ来て富士見旅館へ泊まったのが、今から40年前のこと。その富士見旅館、今も、こうやって以前の面影そのままに、営業しておられます。朝、おむすびとかをお弁当にして持たせてくれたこと、今も覚えてます。
大学生になって、家の車を運転し、姉を乗せて大川村へ行きました。大川村の役場近く、W商店の娘さんが、姉と高校の同級生で、仲良くさせて頂いてたことから、誘ってもらったのでした。家の近くの河原で、川魚焼いて、バーベキューしました。
同じ頃、大学の友人が高知へやって来たので、高校の時に行った白滝廃鉱跡を案内、高校の時に僕らが消し炭で書いた自分たちの名前が、廃屋となった集会所の壁に残ってた。
社会人になって、仕事で土佐町にお邪魔する機会が増え、土佐町が誇る偉大なスーパーマーケット、末広ショッピングセンター様の社長様ご夫妻に可愛がっていただき、新年会とかでホタエた思い出。やまびこカーニバルで、ゲストの女性歌手と銀恋をデュエットさせられたという切なくて恥ずかしすぎる思い出もある、土佐町。
あの時も、富士見館に泊まったんだっけ。
時代は巡る。紆余曲折。いろんなことがあって、また、土佐町酪農組合さんと深いつながりができてきました。また、土佐町へ来る機会も増えそうな予感がします。土佐町で飲んで、富士見館に泊まる日も近いかも知れんと期待しよう。
この写真を撮影してたら、向こうの角に「柳屋」という食堂があるのに気付きました。なんか、オモムキ抜群で、なにかがありそうな予感がするたたずまい。入り口横の壁の、「サイクリストのオワシス」と手書きした張り紙が僕を引きつける。オワシス。
入店しました。店主のおじさん。ずうっと話しかけてくる常連のおばあちゃん。店内のおびただしい張り紙。メニュー。支払い方法。なにからなにまで、とても個性的でした。
おばあちゃんが強くお勧めする日本そばと、おでんを食べて来ました。おいしゅうございました。
初めての富士見館から40年経過し、また、新しい発見。土佐町、おそるべし。
この近くにある道の駅へ移動し、飲み物の自販機へお金を入れると。
「ねーねー、土佐あかうし、おいしいがって。買うてみんかよ?」と自販機がしゃべりました。
土佐町、おそるべし。