ズレていく方向が、ズレる〔5967〕2019/08/17
2019年8月17日(土)晴れ!
時折、ツクツクボウシ。でもやっぱし、昼は暑いですな。昨日も走って帰ったけど、滝のような汗で着衣水泳状態。脚の汗が靴下、靴に降りてきて、グッチャグッチャと音がする。こんな日に走るのは、暑くて苦しくて、心地よい。
昨日、一旦は自転車出勤途上の田んぼの風景、蘖、穭の話などを書いてUPしたけど、第六小学校の2階廊下の写真に差し替え、第六小学校校舎のことについて書きました。最初のしか読んでない方は、こちらへ。
今朝も自転車出勤。土曜日ですが、仕事です。
一昨日の台風。高知県内、心配された程の被害はなくて、まずは良かったんですが、それでも局所的には色々と被害、あったようです。農業被害も、少なからずあったと思うし、稲刈り前の実った稲穂が倒れてるのを見ると、稲刈り、大変そうだな、と思ってしまいます。
あと、高知新聞にも載ってたし、全国のニュースでも流れてたのが、この倒壊看板。今朝、出勤してたら通りかかったので、撮影しました。朝、5時前。
頭上、高いところにある看板って、大きい。実際は、思ってるのより大きいですよね。頭上見上げる場所に掲げられてるのを地面に置いてみたら、思ってた大きさよりもかなり巨大なものであること、わかります。信号機とかもそうですよね。信号機、実際に地面に置いてみたら、思ってるのよりもずっと大きかったりします。
この倒壊看板も、かなりインパクトのある大きさ。西側の、隣地駐車場に向かって倒壊してます。倒壊したとき、もしもここに人が居たら大惨事だし、車でも停まってたら大変でした。まだ、片付けできてないんですね。まあ、差し当たって危険はなさそうやけど。
で、この看板のネカフェ、ちゃんと今朝も営業してました。
ネカフェ。インターネットカフェ。
もともと、インターネット接続が高額だった時代に、手軽にインターネットができる施設として生まれたらしいけど、今は、全然違う使い方、方向に進化してますよね。ネット見たり、漫画読んだりできるカフェ、というのは、確かにそう。便利ではあるみたいで、スマホが普及していつでもどこでもネットができる環境にあった現代でも、ちゃんと需要がある、ネカフェ。
ネカフェ難民とかいう言葉もあって、長期間寝泊まりする簡易宿泊所みたいに利用することも多いみたい。あと、旅行中とかで安価に便利に泊まれるとして、若者が利用したりも、するみたい。
僕らの世代には、ちと、抵抗があるので、ネカフェで泊まったことは、僕はないけど。
昭和はじめに発刊された「大言海」に、ひょっとして「カフェー」が載ってないかと思って、見てみました。載ってませんでした。
調べてみると、そりゃあそうだ。日本で「カフェー」ができたのは明治の終わり頃。そもそも「言海」が完成したのが明治24年。その増補版として編纂作業が行われてた「大言海」だけど、大槻文彦先生は、その完成を見ずに昭和3年に81歳で逝去されてます。大槻先生は、行ったこと、なかったろうな。大槻先生がカフェーに行ってたら、絶対に、「大言海」にも詳しく書かれてたと思う。
カフェーは、明治の終わりに、大阪箕面に「カフェー・パウリスタ」ができたのをもって嚆矢とするけど、すぐに銀座にカフェー・プランタンができ、一気に出店が進んだもの。
でね。コーヒーを提供する社交サロン、というのがパリのカフェーであったのに、日本に入ってくると、ちと変質するのね。
男性が給仕せず、女給さんを置いたため、なんか、風俗営業的に変質していったのが、日本のカフェー。
今の、ちょっと小洒落た「カフェ」と区別するため、当時のやつは「カフェー」。
日本では、いつも、当初の目的からモノゴトが独特な方向へと変質していくケース、多いですよね。ガラケーとか。
ネカフェ文化も、やはり独特なのかと思いきや、ウィキによると、中国や台湾、韓国とかでも若者はネットカフェでネットゲームを楽しんだりしてるんだそう。簡易宿泊所にもなってるんだろうか。
昔は、しゃぶしゃぶ屋さんがノーパンしゃぶしゃぶになったり、ノーパン喫茶が流行ったりと、本質がそっち系統にズレていくことが多かった我がニッポン。だけども、最近はそうでもないんですな。ネット社会の中で、本質からズレていく方向が、ズレてきたみたい。それもまた、ニッポンなんだろうと思う。知らんけど。
今日も暑いけど、仕事仕事。