二葉町とは〔5942〕2019/07/23
2019年7月23日(火)晴れっぽい
昨夜、帰宅してたら雨。かなりガイな雨が夕立のように降った高知市内。あれが梅雨の断末魔でしょうかね。天気予報を見ても、梅雨前線の位置を見ても、素人見でも今日が梅雨明けとなるのは間違いなさそう。いよいよ夏。夏本番ね。待ってました!
写真は今朝、4時半頃の若松町。この若松町という町名が成立したのは、昭和11年といいますき、そんなに古い町名ではない。ないです。
高知市史には「町名には通称に緑町および海岸通があり、海岸の緑にちなんで若松町と称したという」と書かれてるそうだけども、たぶん。もっと具体的な理由、あります。僕の想像では。
現在の住居表示でみると、こう。この十字の場所に立って、五台山方面を撮影してるから、ここは若松町に見えます。向こうに五台山頂上の鉄塔の赤い灯り。
この北は稲荷町で、その西が二葉町。こうやって見ると、稲荷町の町名由来になった稲荷神社は稲荷町にはなくて二葉町に所在すること、わかります。ややこしいけど。
現在の区割りで現在の町名になったのは、昭和49年のこと。その年、高知市内の住居表示は一斉に変更になりました。そうそう。僕が住んでた南与力町は与力町になったしね。あのときのこと、覚えてます。
今、常盤町という町名はありません。ないけど、この西に常盤保育園という保育園があって、あの界隈が常盤町であったことを名残ってます。現在の町名で言えば南宝永町。
常盤町という町名由来は、その堀川沿いに松並木があったから。常盤の松ね。だから常盤町。常盤の松は、立派な松の並木でありました。
で、この若松町の南は明治になって堤防のように埋め立てられ、稲荷神地となった。ここは、この写真にもあるように0m地帯。というかマイナス表示ですきんね。低い湿地帯でした。そこの有効土地利用を推進するために、堤防が海岸線に構築されたのでありましょうね。その堤防上を中心に発展したのが、稲荷新地という訳だと思う。知らんけど。
その海岸沿いに、緑が植えられた。たぶん、当時の発想としては、海岸といえば「松」だ。松並木にしようと、松の苗木が植えられたことだったと思う。知らんけど。
若い松並木。西には昔からの立派な松並木、常盤の松の常盤町があったので、それに対応するように「若松町」と命名したのが昭和11年のことだった。という具体的かつ説得力のある理由を、僕は考えてみました。どうでも良いですか?
どうでも良いけど、もうひとつ。
この西側は二葉町。二葉町という町名も、昭和49年にできたものらしい。と、するとその町名はどこからきたのか。常盤の松の常盤町と、明治に植えられた若い松並木の若松町に挟まれた、二葉町。
若松町よりも若い植栽が、この海岸線に植えられたのかも知れませんな。今も、水門の東のこの辺り、ちょっとだけ緑っぽい感じの風景。これは、二葉町命名由来となった若い植栽を名残っているのかどうなのか。
ちなみに「名残っている」、という言い回しは、今朝、僕が発案したものなので、気になさらないでくださいね。