変わってゆく皆生温泉〔5922〕2019/07/03
2019年7月3日(水)晴れ
で、今朝は米子。鳥取県米子市。昨日は、白バラ牛乳でお馴染みの、大山乳業農業協同組合様に訪問、夜は、大山乳業様関連のお客様と、食べて飲んで。良い一日を過ごさせて頂きました。
食事したのは皆生温泉。米子駅前待ち合わせだったのでビックリ。皆生温泉までは5km以上ありますきんね。
でも、そこまで行った理由、あった。ありました。おいしかった。ちょっと風俗とかが並ぶ界隈なんだけどもそれはそれ。なる美寿司さんというお店ね。予約しないと入れない人気店らしいです。いや、日本海の海の幸、堪能して参りました。太平洋側とは魚種が違うし、いや~おいしい。ありがとうございました。
そんな訳で、今朝は皆生温泉。泊まってたのは米子駅前。なので、走りました。久々、皆生温泉往復RUN11km。昨夜のお酒を汗にして洗い流し、とても気持ち良かった良かった。
皆生温泉の海岸には仮設の「海の家」ができてて、夏の風情。九州とか大雨になってて、高知も雨みたいですが、こちらはもう夏。日本海は夏の装いで、暑かったっすね。
地学的にみて、皆生温泉のある弓ヶ浜半島ってえのは、本当に面白い。米子から境港へとつながるこの半島は、砂嘴が発達したもの。この東にある日野川から流れ出た土砂が、西向きの沿岸流に運ばれて堆積、半島ができあがっていったという歴史。
それだけではなくて、江戸時代初期から日野川で盛んに行われた砂鉄の採集(かんな流し)で大量の土砂が流れ出て、それによって皆生温泉部分などの陸地ができあがっていった、というのね。明治期には1年で2mづつ陸地が増えてたというから、すごい。でも砂鉄の採集が行われなくなると、逆に海岸の侵食が始まる。
すでに温泉地として発展してた皆生は、困った。どんどんと海岸が後退してゆく。髪の毛みたいに。最大300m後退したというから、髪の毛だったら大惨事だ。
そこで考えたのが「離岸堤」。昭和46年から、浜の沖に離岸堤を構築し始める。すると、トンボロという砂州が発達しはじめ、海岸の後退は、止まったのである。
大自然の営みと、人間の営みが複合してからみあい、弓ヶ浜半島、皆生温泉界隈の地形をダイナミックに変えてきた。そんな歴史。
この写真に写ってるのが、離岸堤。航空写真だと、こう。こうやって、海岸の侵食を食い止めているんだ。離岸堤ができる前の、1960年代の海岸線は、こう。もし、離岸堤がつくられんかったら、海岸はもっと南へと後退し、海岸近くの旅館とかも移転をやむなくされてたのかも、知れません。
皆生温泉の風景も変わりました。温泉の楽しみ方も、昔のように団体さんでどんちゃん騒ぎ、てな感じではなくなり、家族や気心知れた仲間で、美味しいもの食べて、のったりまったり。
ストリップ劇場も、なくなったそうです。まあ、風俗系はかなり残っては、おりますが。
以前はなかった、日帰り温泉の「おーゆランド」という施設ができてました。ホテルもついてるおーゆランド。こんなの、欲しかった。
白バラさんの話では、そこに置いてるビン牛乳の自販機、とんでもない量、売れるそうです。お風呂と言えばビン牛乳。コーヒー。フルーツ。ああ。羨ましい。
地形が変わり、風俗も変わり、街並みも変わってゆく。変化に対応しながら、自然に折り合いをつけながら、皆んな頑張って、生きてました。
皆生温泉だけに。