前方後円墳と権力構造〔5916〕2019/06/27
2019年6月27日(木)雨
そんな訳で、やっと降り始めました。昨日、梅雨入り。最遅記録を5日も更新しましたね。
熱帯低気圧が近づいてるので、ちょっとそんな感じのお天気。
会社の緑も、雨に濡れて美しいけど、今朝は久々に、会社の氏神様、上岡八幡宮さんにお参りしてきました。いつの間にかこの八幡様も緑濃く、夏の装い。神社には雨がよく似合う。
この山。上岡山。なんとなく古墳みたいにも見える上岡山は、古墳ではないけど神様の山。石船伝説が残ってて、物部郷でもあることから、古代の名族物部氏に関係のある山であるのは間違いない、と思ってます。
古墳の在りよう、てのは、その古墳の埋葬者と権力構造に関係してます。その埋葬者が、どこの権力とつながってるのか、とか。そんな意味で前方後円墳の分布図を見てみると、ちょっと興味深い。なんてったって、高知県には前方後円墳が無い。皆無なのである。宿毛市平田の曽我山古墳が前方後円墳であるかも知れない、という説もあるみたいだけども、僕は違うと思ってます。根拠はないけど。
ともかく、前方後円墳というのは、大和政権の勢力下にあったり、大和政権と関係があったりする地域で作られてることは間違いないと、思っています。箸墓古墳が大和政権の中心であり、その権力の根拠地や交通の要衝に巨大な前方後円墳がつくられる。そして東北から九州まで、大和の政権との関係を持つ地方の有力者が、大和の政権と同じような前方後円墳をつくった。そんな感じね。
前期後期を通じて前方後円墳がない土佐の状況が、なんか、突出して見える。僕には見える。見えませんか?
後期に小さい前方後円墳のマークがあるけど、これは間違いね。
土佐にも、明見彦山古墳とか高間原古墳群とか、朝倉古墳とか、古墳はたくさんあるけど、なぜ、前方後円墳がないのか。土佐の権力者は、大和の政権と、どのような関係にあり、どのような距離感にあったのか、というのが謎いですよね。
そして、この小山とか、弊社界隈には物部氏の香りが漂っている。
険しい山がそそり立つ四国山地の南側には、大和政権主流派の権威は届きにくかったんだろうか。前方後円墳をつくろう、という意思が見られない古代の土佐の権力者。
ここ上岡山も、古代から神の棲む山として尊崇されてきた訳だけども、ここで祭祀を主催してた人たちは、大和政権とはどんな関係にあったんだろうか。
などと雨の中、妄想が走る走る。雨は人を妄想に駆り立てますな。駆り立てませんか?