南国工場、日章工場〔5879〕2019/05/21
2019年5月21日(火)晴れ
いや~、降りました。水量が減ってた川も、一気に増水しましたね。しかも風も強くて時化模様。そんな訳で、昨夜は走って帰りました。雨風の中を走るのを無上の喜びとする僕にとって、昨夜のようなお天気はとってもとっても魅力的。喜び勇んで走って帰ったのでありました。
ヘンなヒトみたいに言われるけど、まあ、騙されたと思うてやってみて下さい。騙されたらごめんなさい。
今朝は自転車出勤。雨もすっかりと上がり、お日様も見えてきたお天気。さあ。暑くなるんでしょうかね。善き哉善き哉。
南国工場の話。
ここは、昭和40年、つまり1965年に建設されたひまわり乳業南国工場。いや、当時は高知牛乳食品株式会社南国工場。今は本社機能も高知市内から移転して統合されてるので、本社工場と呼んでも良いのだけども、なんとなく南国工場と呼び続けているのに、深い意味はありません。
南国工場と名付けられたのは、もちろんここが南国市だから。でも、考えてみたら、考えてみなくても、昭和40年というと、ここが南国市になってからまだ6年した経っていない。昭和34年に南国市ができるまでは、ここは香長村でした。大そねに役場を置く、香長村。香美郡と長岡郡にまたがる村々が合併してできたから、香長村。
南国市立香長中学校という名称に、その香長村の痕跡が残ってるんだろうか。稲生、十市、三和、大篠の中学校が統合されて香長中学校が創立されたのは。中学校のホームページによると、なんと昭和34年10月1日だ。おう。香長村が、いくつかの町村と合併して南国市になった、その日ではないか。
香長村がなくなったその日に、香長中学校ができたのか。なるほど。
ところで、この近在の人にも、おそらく「香長村」という記憶はほとんど無いんだと思う。と、申しますのは、たった3年間した存在しなかった村だから。昭和31年9月30日から昭和34年10月1日までの3年間。
それまでは、こないだからしつこく書いてきてるように、日章村。昭和17年から昭和31年まで、日章村。土電安芸線に日章駅があり、日章小学校があり、日章郵便局がある、日章村。
もし、この工場が昭和31年までに建てられてたら、高知牛乳食品日章工場だったのか。たぶん、そう。昭和40年の時点でも、地元の人たちにとってはここは「日章」で、高知の他の地域の人たちにとっても「日章」だったと思います。
だから、子供の頃、父親によく連れていかれたのは「日章の工場(こうば)」だった。
今、野市に工場を建てたら「野市工場」ではなくて「香南」工場であり、山田に建てたら「香美工場」になるのと一緒か。
ところで。日章小学校校区の中学校は香南中学校。香南中学校は香南市にはなくて、南国市に、ある。香美郡の南の方にあるから香南中学校ね。
香長中学校は、香長村の痕跡という話を上に書いたけど、香美市(旧土佐山田町)には香美市立香長小学校が、ある。こちらは明治26年に香長尋常小学校としてできてるから、香長村とは関係なし。
さあ。整理してみよう。
香長中学校は香長村の痕跡で、南国市立。香長小学校は、もっと古い時代から存在する、香美市の小学校。
香南中学校は香南市にはなくて、日章小学校の校区である。ついて来てるかな?
さあ。今日も日章の工場で、仕事仕事。