土左大神、土佐高賀茂大明神〔5856〕2019/04/28
2019年4月28日(日)薄曇り
今日は、土佐神社にお参りしてきました。ご存知土佐、一ノ宮。この古い社殿は、長宗我部元親が再建したという由緒のある建物。だから、拝殿に立つと、すごい雰囲気と迫力で迫ってくる。さすが、土佐神社。
今までにも幾度もご紹介してきたように、御祭神は、アジスキタカヒコネノカミ。そして一言主神。二柱の神様が並んで主神とされているのには、理由があります。
一言主神は、古事記にも日本書紀にも登場する神様。倭の五王の一人とされる雄略天皇が葛城山に鹿狩りした際、自分たちとまったく同じ風態の集団に出会う。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えたという話が、ウィキに書かれてます。そして、雄略天皇が恐れ入って弓矢や官吏が着ていた服を差し上げたという話。
その後、日本書紀では対等の立場で、平安期に入ってかかれた続日本紀では、一言主神は、天皇の怒りに触れて土佐に流された、ということになっているそう。
そもそも一言主神は、高鴨の神。賀茂氏の神様であるから、賀茂氏と天皇家との力関係が、ここに表現されているんではないかと言われてるんですね。
徐々に低下する賀茂氏の発言力。遂には土佐に流された賀茂氏を象徴する一言主神。
土佐には、それまで、土左大神という神様がおったそうじゃが、そこに賀茂氏の神様がやってきて祀られるようになったそうな。それで、土佐神社には、一言主神が祀られるようになったんじゃ。
といったことが想起される訳だ。
賀茂氏には、もともと、葛城を本拠とする豪族であった部族がある。その神様が一言主神。賀茂氏は、事代主やアジスキタカヒコネノカミも祀っており、土佐神社の御祭神はアジスキタカヒコネノカミである、と言われたり一言主神である、と言われたり。そこで二柱とも、御祭神ということにしている訳ですな。ついてきてますか?
で、土佐神社という、これぞ土佐中心神社、といった感じの堂々たる名称は、実は、明治に入ってからのもの、それまでの神仏習合の時代には、土佐高賀茂大明神と呼ばれれたという土佐神社。土佐国総鎮守一宮「土佐高賀茂大明神」ね。元親が尊崇したのは、土佐高賀茂大明神だったのが、土佐神社。
廃仏毀釈の嵐が激しく吹き荒れた土佐では仕方なかったことなのか。
この拝殿を左へとまわっていくと、御祭神不明の西御前神社、大国主神社、そして事代主神社が鎮座まします。かなりの存在感がある、西御前神社の神様はいったい誰なのか。事代主神は、そもそも一言主神と同一の神様である、という説もあるけど、それが一言主神を御祭神とする土佐神社の摂社として祀られているのは、どうして?
といった、世の中の流れや平成令和で浮かれる世相とはまったく関係のない空気感の中で、僕の連休は過ぎてゆく。