桜町〔5832〕2019/04/04
2019年4月4日(木)晴れ
ちょっと寒いけど、桜満開。冷やいから散るのも遅いみたいで、長持ちしている今年の桜。明日の高知市酪農組合のお花見、まだ、桜は美しそうです。桜を観るかどうかは知らんけど。
今朝の高知新聞「小社会」に、日本でお花見の風習が広がったのは江戸時代、てなことが書かれてました。では江戸時代、土佐の人たちはどこでお花見してたんだろうか。少なくとも、高知城でないことは間違いない。入れませんき。堀川とかも、違う。今とは全然違う場所が桜の名所だったんだと思います。
一ヶ所、判明してます。このにっこりでも、2012年8月と2018年6月に書いた、船岡山南側の桜並木。その桜は、篠原に在住の、花が大好きなおじさんが植えた桜。あまりに花が好きなので「花之丞」と呼ばれたおじさんによってコツコツと植えられた桜並木が、お花見の名所となったことは、知られてます。
グドラックの南側の山の、その南側。今はもう、その面影も、ない。
では高知の城下では、みんな、どんな所でお花見してたのか。少なくとも、お酒飲みの土佐人がお花見をしなかった訳がないので、どこかでやってた筈。でも、手元の文献ではよくわからない。
高知市内で「桜」の付く地名を調べてみました。
まず思いつくのが「桜井町」。はりまや橋小学校の東側の桜井町。江戸時代後期に、城下の飲料水確保のために井戸が掘られ、その井戸のネキに桜が植えられたので、桜井。そして今は桜井町。
「桜馬場」。江戸時代初期の寛文年間、お城の西、江ノ口川の左岸河原が埋め立てられて馬場となった。その馬場の両脇に桜が並んでいたので、桜馬場。立地から言うても、お花見、したかも知れませんな、桜馬場で。
あと、現在も名水ということでお茶会が開かれたりする要法寺さん。その名水は「桜の清水」。皆山集に「古桜巨樹あり、樹下名水出づ、桜の清水と称す」と記されてます。これは、桜並木ではなくて一本の巨樹。まあ、その下でお花見は、できます。お茶会と、お花見をしたかも知れない。
そして「桜町」。
ここは県庁の南。お堀沿い。藩政期、帯屋町は、ここから大丸のところまでの、郭中を東西に貫く郭中で一番長い町でした。でですね。このお堀沿いには桜がたくさん植えられており、「桜町」と呼ばれていた時代もあったんだそう。ほとんど知られてないけど。この道の両脇が桜並木で、今の季節、大勢の武士やその一族郎党がその下を歩いている風景を思い浮かべよう。
「桜町」。ここが「桜町」だったことを知る人は、少ない。今は桜の一本も無いし。
帯屋町に「帯屋」があったのは、藩政期のごくごく初期の頃。それでも今も帯屋町だから、ここが「桜町」であった時期が短くても、この通りが今も「桜町」であっても良い訳で、もしかしたら「帯屋町」は「桜町」であったのかも知れない、などと思ったりする訳で、僕らが子供の頃に居た「帯屋町太郎」は「桜町太郎」という高雅な名前だったかも知れません。