いなほ、農耕、牧畜、ゲノム解析〔5830〕2019/04/02
2019年4月2日(火)晴れ!
令和だそうです。
まあ、何かが変わるというのは楽しいもので、みんな、おだっちょりますね。いろんな分析とか批評とか、あちこちでおこなわれてます。喧しく。そこで、僕の分析をひとつだけ。
「れ」から始まる元号は。これは珍しいのでござる。今まで、「れ」から始まったのは「霊亀」だけ。なんと、今回の「令和」で2度目なんですな。「霊亀」というのは715年から717年で、奈良時代初期。阿倍仲麻呂とか吉備真備が遣唐使で留学した時代。まだ、元号が使われ始めて半世紀で、7番目の元号。それ以来という「れ」元号なのであります。どうでも良いけど。
昨日は走って帰ったので、今朝は自転車出勤。夜明けに向かってペダルを漕ぐ。この向こうは南国市篠原。国道沿いの田んぼは、もう、田植えが済んで朝日に映える。そんな朝の風景。でも、こじゃんと冷やい。今朝は結構冷やかった。手先がシビコオルくらい冷やい朝でした。でも、冷たい水の中を、稲はすくすくと育ってゆきます。
稲と言えば、正面に見える建物は、介護老人保健施設「JAいなほ」。左端に見えるのがJA高知病院なので、その系列の老健なんですが、さすがJA。「いなほ」ですきんね。この眼前の極早稲米は、7月末には稲刈りになるんでしょうか。日本と言えば稲作で、農協で、稲穂。
稲作は、どんなルートでどのような人たちが伝え、人種の交雑はどのように行われてきたのか。もうそろそろ、ゲノム解析でわかってきてるんだと思います。
昨日のひまわり文庫4月の新刊に、「交雑する人類」という本がありました。この2~3年で劇的に進歩したゲノム解析の技術と、それによってもたらされた新しい知見は衝撃的だ。
例えば現代ヨーロッパ人。アフリカから出た現生人類は、ネアンデルタール人などと交雑をしたりしながら広がる。1万年前頃には、ヨーロッパには幾種類かの狩猟採集民族が暮らしていました。そこに、東の方から農耕技術を持った集団がやってくる。8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は、青い目、濃い色の肌、黒っぽい髪という風貌だったが、そこにやって来た農耕民は明るい肌の色に暗い髪の毛、茶色の目だったそう。誰が見て来たか知らんけど、そうなんだそう。この農耕民が徐々に狩猟採集民のDNAを取り込みつつ拡散し、ブリテン島ではストーンヘンジを構築したりした訳です。でも、その人たちは、現生ヨーロッパ人の直接の祖先では、ない。
そのあと、イランかアルメニア界隈起源と思われる、ステップで牧畜をする民族が急速に広まっていく。先住の農耕民を駆逐する。土器に縄目の紋をデザインする特徴を持ってる、縄目文土器文化を担ったとされる集団の、拡散。あっという間にヨーロッパを席巻した人たち。
なぜ、そんなことができたのか。一つには車輪の発明、という画期的な産業革命が、その集団によって行われ、また、馬を機動的に乗りこなしたから。軍事力に優れている、という訳ね。先住農耕民も、その生産効率はかなり低いものであったし。あと、それこそDNA解析で、腺ペストが持ち込まれ、耐性のなかった先住民族があっという間に減少していった、という事実も明らかになってきてます。
コロンブス到達から、あっという間にアメリカ大陸の先住民、文明が滅びたのと同じ。
インド・ヨーロッパ語族と言うけど、どうやらこの言語を広めたのも、この集団と考えると辻褄が合うだそうですな。ゲノム解析おそるべし。
西洋の人が、僕らに比べて機動的で攻撃的なのは、そんな遺伝子の成り立ちだからなんでしょうかね。農耕民族が駆逐されなかったら、また違う世界地図になっていたんだろうと思います。
ヨーロッパでは、一旦広まった農耕文化が牧畜文化に駆逐された、という歴史があったのでありました。だから牛乳の消費量が違います。悲しいけど、DNA。
「交雑する人類」では、ヨーロッパやアフリカ、インド、アメリカなどの複雑な人類の混じり合いを、詳細に解き明かしてくれてます。けど、残念なことに東アジアの解き明かしは、ない。ありません。
僕らはどこからやって来て、どんな交雑を繰り返し、今に至ってるのか。東アジア、東南アジア、南アジア、南の島々の、たぶん、かなり複雑な交雑の状況と文化や文明の伝播状態を知りたいですね。ゲノム解析で。
日本人は、今も、DNA的には色んな交雑の結果の上に成り立ってて、しかも、地域などによって、今も多様であることがわかると思います。そして東アジアの人たちとの近縁さは、言うまでもない。
「日本」を大切にしつつ、みんな、DNA的には同じところから派生してるんだということも忘れたくないですね。ナショナリズムも良いけど、大切なのは、「和」。同じところから来てるんだもの。
ゲノム解析の結果は、たぶん、そんなことを教えてくれる。