偏った知性を目指そう〔5823〕2019/03/26
2019年3月25日(火)晴れ
僕の本の読み方は、たぶん偏っていると思う。思います。毎月、ひまわり文庫の新刊としてご紹介している本も、一般的に見たら偏ってるのかも知れません。でも、読書とはそういうもので、誰でも、多かれ少なかれ偏った志向のもとに本を読んだり音楽を聴いたり映画を見たり。それが人間というものだと思います。
でですね。
ひまわり文庫4月の新刊でもご紹介することになるけど、そこでの紹介だけではもったいないので、この本だけ取り上げて紹介します。「鬼子の歌」。いやね。ツボ。最近読んだ本の中で、これほどツボに嵌った本は、ちょっと記憶にないくらい。腰痛が一瞬で治ってしまった鍼のツボのよう。こんな本があったんだ。
この本を知ったのは、高知新聞の書評欄。たぶん、共同通信配信の書評。京都大学かどっかの先生が、この本を取り上げて書いてたのを見て、これは読んでみなくっちゃと瞬時の思った本。なんか知らんけど、僕を呼んでました。この本が。
早速オーテピアで借りようと思って行ってみたら、貸出中。数日後に行ってみても、まだ貸出中。仕方ないので、買いました。買って良かった。
想像していた以上に、ど真ん中のストライクでしたね。繰り返すけど近年にない、ストライク。この片山杜秀という著者、かなり偏った知性の持ち主だけど、偏った知性は美しい。
僕は別に、日本のクラシック音楽を知っている訳でもないし、クラシックをよく聴いている訳でもない。ないけど、この「偏愛音楽的日本近現代史」という魅了的な副題を持つ本は、面白い。全然名前も知らなかった作曲家の、初めて聞くような作品を、この著者の牽強付会とも言えるような強烈な思い込みと論理的な組み立てで解説していくしつらえ。
この帯にあるように、山田耕筰とか伊福部昭とか黛敏郎なら、名前や代表作くらいは知ってます。でもそのほかの作曲家に至っては名前も初めて聞いた人も多いし、メジャー中のメジャー、武満徹なんぞは取り上げていないのが、また、偏愛。
一番最初に取り上げているのが三善晃なんですが、その冒頭に、昔、僕が高校生の頃にやってた「カルピスなんとか劇場」のアニメーション「赤毛のアン」の主題歌とエンディングの歌の話が出てくる。かの宮崎駿さんが関わったアニメーションね。あの音楽は、確かに強烈で個性的でした。僕は今でも口ずさめるくらい。そんなことできるのはたぶん僕くらいだと思うけど。その曲を作曲したのが天才三善晃で、その三善晃の書いたオペラ「遠い帆」のことを書く文章の冒頭が「赤毛のアンはカナダ文学です」ですきんね。いやはやまったく。
ここでは14人の日本人クラシック作曲家が取り上げられてます。僕としては、冒頭の三善晃、「ゴジラ」の伊福部昭、「海ゆかば」の信時潔とかが面白かった。そして最後に取り上げられてる松村禎三のオペラ「沈黙」。
それぞれの時代背景と、個人の生い立ち、環境、そして思想が、どのようにその音楽を創り上げていったのかを、かなり一方的な解釈も含めて進めていく論調は、その軽妙なデスマス調の文章も相俟って、音楽史の知識がない僕なんかをもその偏愛ワールドに引き摺り込んでゆくのである。あります。
昨夜、ある飲み会で、高知交響楽団のコンマスをつとめるS君や、高校でブラスバンドの指導をしているK君とかと一緒でした。酔った勢いで、思わずこの本のことを熱く語ってしまい、ぜひ読んでみて、と言ってしまった。この偏愛が、まっとうな音楽家さんたちに理解されるものかどうかは甚だ疑問ではある、と、家に帰って冷静になってから思い至りました。ごめんなさい。
ともあれ、かなり分厚いこの本。お薦めします、と言うよりも、僕の個人的ツボ、と申しておきます。朝っぱらから個人的な話ですみません。
さあ。そんなことより仕事仕事。