日本人とカレー〔5799〕2019/03/02
2019年3月2日(土)晴れ!
冷残の子牛の肉或いは鳥の冷残肉いずれも両種の中有合物にてよろし 葱四本刻み林檎四個皮を剥き去り刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其の中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混て炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし。
これは、明治5年に出版された西洋料理の本「西洋料理通」に掲載されたという、日本で最初の、こカレーの作り方を書いた文章。明治5年ですきんね。
日本人で最初に、西洋風のライスカレーに出会ったのが、物理学者の山川健次郎氏で、明治3年に米国留学へ向かう船の中、というから、明治5年の料理本に掲載されるカレーというのは、日本人にとってインパクト強かったんだろうね。
ここでいう「カリーの粉」は、19世紀初頭に大英帝国のC&B社が開発したカレーパウダーでしょううか。
大英帝国が東インド会社を設立するのが1600年。あまり現地の料理には興味がなかったと見えるイギリス人ですが、1772年になって、ウォーレン・ヘイスティングスという人物がやっとこさカレースパイスとお米をイギリスへと持ち帰ったんだそう。かなり気に入ってたみたい。持ち帰ったのは粉末スパイス各種に、混合スパイスである「マサラ」「ガラムマサラ」とか。お米もね。
異文化への関心が高まる中、英国で、カレーは独自の発展を遂げた訳だ。たぶん。西洋料理の玉ねぎとかで煮込むスープのレシピがかなり取り入れられたんだろうと思います。
そして、家庭料理としても気軽に作れるように、上に書いたようにカレーパウダーが登場。
そんなカレーが明治初頭に日本で紹介され、ビックリするほど瞬く間に浸透していった。どれくらい瞬く間だったかと言うと。
日本人がライスカレーに初めて出会ったのが、上に書いたように明治5年。で。翌年の明治6年には、陸軍幼年学校の食事で、土曜日の昼食はライスカレーになりました。すごい。カレーというと海軍のイメージだけども、最初は陸軍だったのか。
そしてどんどんどんどんと広がってゆく。明治36年には国産初のカレー粉が発売され、明治37年にはカレーうどんが登場。
そして国民食へと成長していくカレーライス。
日本のカレーは、こんな歴史経緯から、西洋風の煮込みカレーなんですね。インドのカレーではなくて。明治5年のレシピではネギが使われてるけど、玉ねぎの栽培が普及していくに連れて玉ねぎになり、人参、じゃがいも、玉ねぎというカレー御三家が確立されて行った訳だ。
ここまでの話、全部、ハウス食品さんのホームページからの抜粋。ありがとう、ハウスさん。西城秀樹さんは亡くなってしまったけど、ハウスに、カンゲキ!
なんで、日本人はこんなにカレーが好きなのかは、知りません。
家庭ごとに、家庭ごとのカレーがありました。
平成になってから、本格的なインドのカレーも広まっていくようになる。インドのカレーは煮込まないんだそう。スパイスの味で食べるのが、インドのカレー。それはそれで、料理上手のインド人が作ったら、とんでもなく美味しい。訳あって、僕はそんなインドのカレーが食べられる環境にありました。玉ねぎ入れて煮込むカレーとは、また、違います。
県庁のカレーマスターTさんのカレーは、玉ねぎ煮込み系の逸品ね。
カレーの話、長くなってしまった。
今日の本題。一昨日書いた、高知農業高校の生徒さんの作品、「高知の野菜たっぷり!ししとうのグリーンカレーゆず風味」を、HACHIYAカレーさんに食べにきました。昨年の高校対抗牛乳料理コンクール最優秀作品なので、もちろんひまわり牛乳をたっぷり使ったカレー。2月28日から3月6日まで、HACHIYAカレーさんで数量限定で食べられるのであります。
今回は、「高知の野菜たっぷり!ししとうのグリーンカレーゆず風味」とHACHIYAカレーさんのキーマカレーの合掛け。
弊社の牛乳も使ってくれてるので、弊社の若い若い営業の女性を連れて、食べにきました。
ああ。おいしかった。安定のHACHIYAカレーに、最優秀のグリーンカレー。おいしくない訳が、ないね。この写真は、弊社営業のSさんが撮影したもの。カレーって、真上から撮影したら絵になる、と言うてましたがその通りだ。
この特別カレー、今月6日まで提供されてます。明日日曜はお休みなんで、気を付けてください。
最近、カレーネタが多いですな。やはり、カレーは、日本人の国民食だ。おいしいカレーを食べたら幸せな気分を満喫できます。
ボクも、カンゲキ!