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勝山から天山をみる〔5753〕2019/01/15

勝山から天山をみる

2019年1月15日(火)曇り

今朝は松山。昨日来て、そのまま泊まってました。今朝は5時過ぎに起き出して松山城RUN。標高131.4mの松山城を一気に駆け上がる。

まだ、まっ暗い時間帯。にもかかわらず、たくさんの善男善女が歩いてました。城山の東、東雲神社側からの道は、所々に明かりが灯されていて、まっ暗ではない。なので、みんな、そのルートを歩いて登ってます。いや、走って登っているおじさんも居て、僕はアッと言う間に追い抜かれてしまった。恐るべし、松山。

 

天守のある詰の段に到着したら、ラジオ体操やってました。あの、NHKのラジオ体操の放送に合わせて。ん?

時刻を見ると5:45。まだ、やってないはずだ。あれは6:30から。つまり、あの放送を録音してきているんですな。6時半まで待ちきれない松山の善男善女たち。

 

詰の段から南側へ降りたところからは、松山の中心市街地が見下ろせます。「隠門続櫓」のところね。そこから撮影したのが、この写真。朝6時。眼下に松山の街明かり。

山の下に三越のマークが見えるので、その左手から向こうへ向かって伸びるのが大街道。それを南へ延伸した、明るい道路が国道33号線で、砥部を通って高知へ向かう街道。と、言うことは、その明るい国道33号線の左手に見える小山が天山三山という訳だ。こないだもご紹介した天山(あまやま)を中心とする天山三山。

天山、東山、星岡山で天山三山。大和三山(天の香具山、耳成山、畝傍山)が国の中心であったように、あそこも国の中心であったのか。

 

場所としては、重信川と石手川に挟まれた洲の真ん中。こんな感じ

で、そっから南西には椿さん。

前回も書いたけど、関ヶ原の後で加藤嘉明が築城の許可を家康に願い出た際に候補地となっていたのは、あの天山、この勝山、そしてこの北の山、御幸寺山。

現在の松山城がある勝山は標高131.4m。御幸寺山は標高164.7m。

加藤嘉明が第一候補としてあげてた天山は、標高51m。ただ、星岡山が75mあるので、天山がお城となってたら、天守は星岡山に建てられたかも知れません。

 

天山三山が松山城となっていたら。三山に囲まれた、現在のセブンスター石井店様の東界隈に藩主の屋敷や藩中枢の建物が置かれただろうか。

城下町は、石手川と重信側に挟まれた三角形のエリアに建設され、その真ん中に、椿さんが堂々と鎮座。そんな城下町ができていたようなできてなかったような。歴史のifを妄想してみるのも、また、楽しい。

 

現在の松山市の中心市街地は、この眼前。大街道を中心に、たくさんのビルが並ぶ見慣れた風景。でも、家康が、天山に城を築くことを選んでいたら、あの天山を中心にして、西側、つまりこの写真で言うと右側へと中心市街地が広がってたのかも知れませんね。

ただ。

地質を見てみると、この眼前の中心市街地は扇状地で比較的地盤が硬そうなのに対して、天山の西側は氾濫平野で、柔らかい。

 

地質については、家康は知らんかっただろうけど、街の発展ということで地学的に考えると、結果的に、家康の判断は正しかったのかも知れません。

 

さあ。朝は松山支店。午後は本社へ帰って仕事仕事。家康を見習って、僕も、良い判断をしましょう。


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