ほんのこないだ、ここで〔5748〕2019/01/10
2019年1月10日(木)薄曇り
夜明け前は暖かく感じたけど、お日様が出んので、日中はなんか、結構冷やい。まあ、冬だ。でも本当はもっと冷やい訳で、これっぱあなら冷やいのどうの、言うておられません。
こないだ、高3の時の塾の話、書きましたね。そこで一緒だったK君がバックギャモンの「名人」になってて、数々の世界大会でも優勝する程のプロ・バックギャモン・プレイヤーになっている、という話。偶然、オーテピア近くのスタバで、正月帰省しているK君に遭遇し、あの頃のこと、思い出しながら話した。そんな懐かしいあの頃の話。そう。そんなことを思い出していたら、昨日のこと。
とある場所で、懐かしい女性の方に声をかけられました。なんと。なんと、その塾で一緒だった、近所の女子高に通っていた女性。当時は女子高生で、いまは僕と同じ年齢に成長してるけど、面影が残ってて、よくわかりました。その時はご主人と一緒で、そのご主人は昔バンド関係でご一緒したりしたこともあったので、よく知ってます。いや、懐かしい。
こないだK君に遭遇して、あの塾の話をしたばかりなのに、また、その塾で一緒だった女子高生(当時)に会う。すごい。何かが起こってますな、これは。
その塾があったのは、この辺り。ここに「汽車寿司」という変わった名前のお寿司屋さんがあって、その脇を入っていって階段を上がった2階だ。そこで繰り広げられた僕の甘い青春物語。などということはまったくなくて、浮いたような話は一切なかったけど、でも楽しかった1年間でした。
よくもまあ、みんな、志望の大学に合格できたもんだ。
地理院地図の最新写真だと、こう。最新写真と言うけれど、まだ追手前小学校がそのまんまあるので結構前のだね、これ。追手前小学校が閉校になったのが2013年3月なので、この写真、もう6年以上も前の最新航空写真。それはともかく、この十字の場所に、汽車寿司があった。その2階に塾も。
今はひろめ市場の南側で、すっかりと風景も変わってしまいました。
この一角は「ひろめ屋敷」と呼ばれ、狭い路地が入り組んだ住宅密集地だった。幕末、土佐藩のエライてだった深尾弘人(ひろめ)さんの広大なお屋敷だったので、弘人屋敷。ひろめ屋敷。
南東の角には小学校の同級生の八百屋さん。その北に小さな間口のプラモ屋さん「竹屋」があり、その北に、これまた小学校同級生の文具屋さんの本社がありました。僕が汽車寿司に通っていたのは、そんな時代。航空写真で見ると、こんな感じか。まだ追手前小学校の校舎が古いので、汽車寿司2階時代よりは少し前の航空写真だ。この写真だと、小学校の南の現在のチェントロの場所、空き地になってます。まだ、ダイエーショッパーズができる前で、町田病院が旭へ移転していった、後。
その前。僕が小学生の頃の航空写真だと、チェントロの場所には町田病院。木造の大きな病院でした。
汽車寿司の2階の時代から、もう、40年。そうか。40年にもなるのか。40年も経てば、バックギャモンのチャンピオンも生まれてくる訳だ。
あの頃、40年後の世界、生活なんぞ、想像したこともありませんでした。本当に、こっから先も想像しなかった。
でも、現在の感覚としてはね、ほんの、「こないだ」。ほんのこないだ、僕らは、ここの寿司屋の2階にあった塾で、楽しんでいた。