馬場孤蝶と島崎藤村と鏡川〔574〕2004/11/10
2004年11月10日(水)晴れ
今朝も鏡川。天神大橋と柳原橋の間の北岸に、ご覧のような碑が目立たなく建っこります。山内神社の東側に、スクエアフロントというSOHOベンチャー支援の施設があり、その東が三翠園ホテルの温泉「水哉閣」。数年前まで三翠園の附属の施設として古~い趣きのある建物が建っちょった場所です。その東が「臨水」という、これまた古くて趣きのある建物の料亭。で、その東の、土手に上がる階段脇、美容院の前にご覧の碑がひっそりと佇んじょります。
馬場孤蝶は、明治2年生まれの、高知には珍しいロマン派文学者。以前にも何度かご紹介しましたね。自由民権運動の論客馬場辰猪の実の弟でございます。
東京の明治学院に通う頃、島崎藤村と学友になり、親しく付き合うようになりました。その後馬場孤蝶は高知へ帰って学校の先生をしよりましたが、明治26年2月23日、島崎藤村が高知へやって来て27日までこの地に滞在、親交を深めたのであります。
その島崎藤村に刺激をうけまくった馬場孤蝶は、その年の8月には早速上京、島崎藤村や北村透谷などによってその年1月に創刊されちょりました「文学界」の同人に加わります。
ロマン派の小説や詩を書きつつ明治文壇での評価を高めていき、後には慶応義塾大学で文学の講義をしたりもします。トルストイの「戦争と平和」など、多くの海外小説の翻訳も手がけ、日本の文壇に大きな影響を与えたのだそうであります。
とにかく、明治期の多くの文人と交わり、尊敬された偉い人物やったようです。
この碑の建つ場所。ここに有った旅館が、その馬場孤蝶の人生を決定したとても重要な場所ながです。