半割れ〔5719〕2018/12/12
2018年12月12日(水)晴れ
昨夜、少し降りました。雲が多かった影響でしょうか、早朝は、そんなに寒くはなかった。夜が明けると雲が風で吹き飛ばされ、青空が広がる。風は、強い。四国山地の高山でも雪降ったでしょうかね。ああ。登りたい。
さて。昨日の高知新聞夕刊に、「東海地震でも本県避難」という見出しの記事が載ってました。そう。政府の中央防災会議が、東海または東南海でM8級の地震が発生した場合、南海トラフでも地震が発生する可能性があるとして、1週間程度、高知などの沿岸住民に一斉避難を呼びかけることにした、というもの。で、写真は今朝の一面。その一斉避難でも、企業活動は、一部を除いて制約はしない、という記事。
まあ、当然っちゃあ当然の措置だけども、その塩梅と申しますかバランスと申しますか加減と言いますか、どの程度の対策を取るべきかについて苦悩している様が読み取れます。そりゃあそうだ。いつ、どんな規模の地震がどこに発生するかを予知することは、絶対に不可能だから。
こう書くと、科学の進歩でなんとかなるんではないか、と反論を頂きそうだけども、そうはならない。これは、「歴史はべき乗則で動く」を読めば完全に理解できるけど、その瞬間にちょびっとプレートがずれただけで終わるのか、大地震になってしまうのかの運命は、単なる偶然でしかないから。だから、難しい。もちろん、なんとなく予兆があって、そろそろ起こるかも知れない、というくらいの予知は可能だと思うけど、どの瞬間にどこでどれくらいの規模、となると、不可能なんですね。
で、「半割れ」。
情けないことに、初めて聞きました。「半割れ」。そんな言葉があったんだ。
南海、東南海、東海の地震は、数限りなく地震を繰り返してきてます。この3つが連動するのは、よく知られている事実。横のプレートが大きくずれると、こちらのプレートがずれるきっかけになる、という理屈はわかりやすい。きっかけになるかも知れないし、ならないかも知れない。
過去の歴史を見てみよう。
昭和南海地震では。
昭和19年12月7日に昭和東南海地震が発生し、昭和21年12月21日に昭和南海地震。そのインターバルは、2年。この時東海地震が起きてないのが、ちょっと不気味なんですね。
その前の安政南海地震では。
嘉永7年11月4日朝9時頃に安政東海地震。これは、東海と東南海連動型。そして翌日午後4時半頃、南海地震発生。そのインターバルは、31時間。この時は、東南海地震が先の起きたので、海面の異常とかが観測されてました。
その前。宝永南海地震。
宝永4年10月4日午後2時前、東海、東南海、南海の3つの連動型地震として発生。これは、3つ同時。同時にずれると規模も大きくなり、土佐の文書に残る歴史では、最も規模が大きかったと思われる宝永地震。で、この時は、その49日後に富士山も大噴火しており、関連があると言われてます。
その前。正平南海地震。
1361年の夏に発生したこの地震は、南海、東南海連動型と言われてますが、真相はわからない。数日前から揺れたり海が干上がったりした、との記録を見ると、僕個人的には、先に東の方のプレートがずれ、数日後に南海地震になったんではないか、と思う。前兆現象を説明しようとすると、そうなる。
887年の仁和南海地震でも、同時期に東南海で発生したのではないかという痕跡があり、そして土佐に甚大な被害をもたらしたとの記録が残る684年の白鳳地震は、宝永と同じ3連動ではないかと言われてますね。
なかなか地震記録というのは調査が難しくて、真実がなかなかわかりにくい。けど、確かに、南海、東南海、東海は連動している。
でも、同時の場合もあるし、1日後の場合もあるし、2年後もある。そんな訳で、1週間経てば大丈夫かと言うとそんな確証はどんな学者にも無い訳だけども、ある程度の基準を設けるとすれば、そんなもんかも知れません。エイヤーっだけども。
いずれにしても「半割れ」になった場合、住民の一斉避難を呼びかけるけど、企業活動は制約しない、という矛盾したような苦肉の策は、対策考える人の苦悩が溢れてます。僕らは、企業活動はどうするべきか。今から考えておかなくてはならない、大切なこと。