金星、弘岡町、朝倉町、唐人町〔5691〕2018/11/14
2018年11月14日(水)晴れ!
昨夜は会合で飲んでたので、今朝は少し遅めの出勤。与力町に置いてた車を取りに行く為、鏡川沿いを歩きました。夜明け前。静かに美しい鏡川。少しだけ明るみ始めた東の空低く、明けの明星。金星。
金星の周回軌道には、今、日本の探査機「あかつき」がおります。
金星の直径は地球の0.95倍、質量は0.82倍。太陽系の中で、一番地球によく似た惑星。また、地球に一番近い惑星でもあって、日没直後とか夜明け前とか、低い空に一際明るく輝く金星。
その見た目の美しさとは裏腹に、その地上環境は過酷だ。地表温度は460℃。秒速100mの風が吹き、その大気のほとんどは二酸化炭素。しかも気圧が95気圧。すごい。どれくらいすごいかと言うと、旧ソ連の金星探査で、重さ660kgの着陸機を地上50kmから自由落下させても大丈夫だったくらい。すごい気圧。重力は地球とあまり変わらんのにね。気圧が高いとは、そういうことだ。
旧ソ連の金星探査については、こないだも書いたけど、ここに詳しくレポートしてます。
凄まじい環境への挑戦、ソ連の金星探査。このドラマは面白いですよね。当時、宇宙開発競争の中で、ソ連がいかに頑張っていたか。金星を探査しても軍事的に優位に立てる訳ではなかっただろうに、とんでもない熱意でもって、金星に臨んだソ連。おかげで、僕らは、金星表面がどんな風景なのか知ることができてます。
さて。そんな過酷極まりないけど美しさも極上の金星に見守られながら川沿いを歩く。この土手の北側は弘岡町。山内一豊さんが高知の城下町をつくった際、吾川郡弘岡の住民を移設してきてできた、町。もちろん弘岡は、吉良氏の本拠であった吉良城の城下町。山内一豊の都市計画は、戦国期の各地の城下町を集める都市計画。そうしないと、速やかな城下町建設ができんかった訳だ。
弘岡町の北側は朝倉町。朝倉村の住人を移住させてきたので、朝倉町。朝倉村は、言わずと知れた本山氏の本拠、朝倉城の城下町だ。
朝倉町には、金剛院というお寺さんがあったと言います。元禄11年の大火で焼け、新町に遷ったという金剛院。その金剛院は、慶長年間にここに遷されてきたもので、元は、あの滝本寺。逢坂峠を東へ越えて下ったところから北上、山際の毘沙門の滝のところにあった、滝本寺。そこの坊さん、非有が、長宗我部元親の外交僧として活躍したのはご承知の通り。そんな滝本寺をここに移設してきたのも、山内一豊なんでしょうかね。色々と考えがあってのことだと思う。
朝倉町には豪商美濃屋がありました。その7代目武藤致和。8代目平道親子が「南路志」を編纂したのは、有名。その美濃屋も、その初代は長宗我部家臣の武士であったといいます。
なんか、長宗我部の匂いがする町、朝倉町。
この土手には唐人町。そうそう。唐人町も、元親が朝鮮出兵の折に朝鮮から連行してきた人たちが、山内一豊によってこの土手上に住まわされ、朝鮮式の豆腐製造の特権を与えられたという町。ここにも、長宗我部の匂い。
高知の城下は、いろんな事情や思いが複雑に絡まりあいながら、できていったのでありました。