初めての、豊洲市場〔5665〕2018/10/19
2018年10月19日(金)曇り
今朝は東京。久々の東京。しばらく来てない間に、築地は移転。あの場内の賑わいを体験できないのかと思うと、ちょっと、かなり、寂しい。
ともあれ豊洲だ。これだけ話題になった豊洲移転。交通渋滞とかもかなり緩和されてきて、運営も慣れて来た頃合い。どんな所か、行ってみるにしかず、だ。
昨日は業界の寄り合い。で、木場に泊まってました。地下鉄東西線の木場駅には、強烈な思い出がある。忘れられない思い出。木場で生まれ育った大学の友人M君。そのM君ちにお招き頂いて、飲んだ。大学1年だったと思う。とにかく、飲んだ。鯨のように飲んでグデングデン。それでもなんとか、地下鉄の終電に乗って帰らなくっちゃ、という理性はあったようで、フラフラと歩いて地下鉄東西線木場駅へ。ところが。間に合いませんでした、終電に。ああ。しかし、あまりにも酔っ払っていたのでMくんちがわからない。よう帰らんなったのでありました。もちろん携帯電話なんかは無い時代だし、Mくんちの電話番号も知らん。木場駅は、終電が出ると入り口のシャッターが閉められ、僕は冬空の下に投げ出されたのであった。いや、ホント、寒かった。
仕方ないので、地下鉄入り口脇に小さなスペースを見つけ、そこで丸くなって座り、始発を待つことにした訳だ。寒かった。あのまま、目を覚まさなかった可能性もあると、後になって反省したことでした。無事、始発に乗ったときは、身体がカチンコチンに冷え固まってました。そんな木場駅青春の思い出。
そんな思い出に浸りながら、今朝は4時に起きて、木場から、埋立地を通って豊洲へ走る。今日は午前中、新幹線で大阪へ行って仕事なので、ホテルを7時までには出んといかん、という事情があって、かなり早くに起き出しました。朝からトラックが行き交う湾岸の道路を走って豊洲へ。
ゆりかもめの「市場前」駅に到着したのは4:40分。まず、左手に青果棟が現れ、「市場前」の左側に管理棟。その向こうに水産卸売場棟。道路を挟んで右側に、水産仲卸売場棟。なるほど。こうなっておるのか。
この道路の下に連絡通路があって、そこを、あのターレーが行き交っているでありましょう。
知らんかったけど、一般客が出入りできるのは5時からなんだって。なので、少し、撮影タイム。この写真を撮影しました。左側が管理棟。右側が水産仲卸売場棟。こんな時間にこれほどの車で賑わう道路も、ここくらいのもんでしょうな。
で、5時になったので、水産仲卸売場棟の食堂街へ。既に、市場で働く皆さんは食事してました。そりゃあそうだ。5時前に食事をせんといかん人も多いだろうし。
その時間に営業している店も少ないけど、今朝は「中栄」。久しぶりに食べた「合いがけ」は、変わらぬ味でおいしかった。まだ、一般客もおらず、僕以外は全員市場の人たち。中には「やっとたどりついたよ。」と言いながら入ってくる築地からの常連さんもおりました。
食べ終わって管理棟の食堂街へ。そこには、あの「茂助だんご」さんが移転してきてました。とてもキレイでしゃれたお店になってましたね。名物おばあちゃんが、店の入り口に置かれた椅子にチョコンと腰掛けてました。
さて。感想を申しましょう。
結局、市場のあの、賑やかな風景をまったく見ることありませんでした。いや、見学通路とかがあるので、そっち行けば見えるんだろうけども、駅から食堂街へ行くだけだと、まったく市場感がないのだ。お店に入ると市場で働く皆さんの会話が聞けるけど、それだけ。
築地だと、いたるかしこターレーが行き交い、まさに市場の仕事場の真っ只中を通って食堂街へ向かってた。食堂街の中もターレーが平気で通るし。威勢の良い声も、あちこちから聞こえてくる。
僕は別に見学通路まで行って市場を見学したい訳でもなかったので、今朝は1台のターレーを見ることもありませんでした。
僕みたいな人にとっては、単に、早朝から営業しているレストラン街。そんな感想でした。マグロの競りを見に来たと思しき外国人観光客さんも多かったけど、どんな感慨を持つんでしょうね。なんか、大企業の工場見学みたい。「市場」は、「流通センター」になったのでした。
これから、豊洲としての新しい文化、新しい賑わい、新しい伝統を築き上げて行けるのか。それは誰にもわからない。頑張って欲しいものです。
あちこちに立っている警備員さんが、外人さんにマグロ競りの場所などを地図を指差して尋ねられ、堂々と完璧な日本語で説明していたのが、なんとなく、築地の匂いがして嬉しかったです。