魚河岸文化いつまでも〔5651〕2018/10/05
2018年10月5日(金)小雨
今朝の高知新聞。
魚河岸文化いつまでも 築地市場 明日限り
そうか。明日で築地、最後なのか。最近東京出張がなくて、しばらくご無沙汰してしまった築地。東京出張で泊まる時には、早朝起き出して築地まで走るのが楽しみだった。築地。
昔、東京で大学生をやっていた頃は、見向きもしなかった。行ったこと、ありませんでした。そして社会人になり、たまに東京へ行くことがあっても、築地にはまったくご縁、なかった。
築地にハマったのは、どうやら2010年頃かららしいです。このにっこりひまわりで「築地」を検索してみると、どうやら、そうだ。あのゴチャゴチャ感と活気。おいしい食べ物。早朝行っても活気に満ちている、築地。
ハマるきっかけになったのは、場外、もんぜき通りの「きつねや」さんだ。ホルモン丼。まったく築地のことを知らない時、隅田川沿いで早朝RUNをしてた僕は、偶然、築地を通りかかったのでありました。あれも、また、運命だった。
場外を、早朝からの人混みを避けながら走っていると、とても魅力的な匂い。運命であったかのように、「きつねや」さんへ吸い寄せられ、おいしそうなホルモン丼を注文する。ホテルの朝食券を持っていたのに。もういいや、てな感じで、ホルモン丼を食べ、恋に落ちた。
爾来8年か。幾度、行ったかわかりません。ホテルで朝食を食べることはなくなり、築地から10km程度離れたホテルを予約するようになる。夜は早く帰って、4時半には起きだして築地へGO!
10km走って、築地めし。寿司とか食べたこと、無いけど。ホルモン丼。深川丼。ベーコンエッグ定食。カレーとハヤシの合いがけ。うな鳥丼。そしてもちろん、茂助だんご。ああ。
そんなこんなの築地。
前回書いたけど、日本橋にあった魚河岸の伝統を引き継いだ築地は、実にすごい設計思想でつくられてます。問屋機能と仲卸機能を結ぶ導線。そして融合。その考え抜かれた建築思想を、これまた長い年月かけて有機的に使いこなしてきた築地の住人たち。
世界中でも、これだけの目利き、専門家を備え、汎用品からとんがったものまで豊富に揃った市場は稀有である、と言います。
「市場」を「流通センター」にしてしまうと、失われてしまうもの。世界中の大都市で、大規模流通センターができて、大切なものが失われた。だから、築地には多くの外国人観光客が訪れていたんだと、思う。
豊洲の健闘に期待したいけど、早くも、問屋と仲卸の分断など、魚河岸からの伝統が失われていくことへの危惧が叫ばれてます。
それにしても2年か。2016年8月27日のにっこりで、豊洲市場のこと、書いてます。「11月7日 豊洲市場開場!」と書かれた横断幕。2016年11月7日に開場する予定だった豊洲だもんね。2年遅れました。2年、築地を楽しめたけど。
今度、場外がどんなになったのか、豊洲がどんなのか、走りに行ってみよう。400年続く魚河岸の伝統は、どのように変化し、受け継がれていくのか、確認したい。