変わってゆく農作業〔5650〕2018/10/04
2018年10月4日(木)小雨
朝起きたら、小雨。そんな秋も、あります。
秋といえば収穫の秋。かつてはこの季節が稲刈りシーズンであったのか。いや、明治生まれの人に取材した聞き書きの本を見ると、昔の稲刈りはもっともっと遅かった。随分と農作業も変わってきました。
明治初期に生まれ育った方の話を読むと、社会の在りようの変化はすごいこと、実感します。
こないだ、Facebookに、古い足踏み脱穀機を使ってみた動画を、知人のSさんが上げてました。円筒形のものから針金のようなものがニョキニョキと突き出しており、そこに稲を当てて脱穀する。使ってみた感想が「うーん、コンバインの有り難み実感」というもの。なるほど。
そこで、明治生まれの方の聞き書きを見てみる。刈った稲を刈り干しにする。そしてそれを、センバにかけて脱穀。これがなかなか大変だった、と書いてます。そして、籾摺り。これは、水車とかを利用して臼を回してたとのこと。今考えると、とんでもない労力ですな。すごい。
だから、そんな作業をしてきた人たちにとって、足踏み脱穀機は夢の機械であったのかも知れません。きっと、そうだ。
SさんのFBの写真を見ると、その足踏み脱穀機には、こう書いてます。
農林省通産省御推奨
高村式土佐號
高知縣日章村
高知農機株式会社
日章村ができたのは昭和17年。海軍が航空基地をつくるに際し、農地を接収した。その時にできたのが日章村ですき。その足踏み脱穀機は、戦後間も無く使われていたものなんでしょうか。
その足踏み式脱穀機を考案したのは、高村さんという人物だったんでしょう。高村さんに感謝した人、多かったと思います。そんな文明の利器もどんどんと進歩して、今ではコンバイン。足踏み式脱穀機を懐かしむ人はいますが、センバの苦労を知る人は、もう、いなくなってしまいました。
写真は今朝の、会社の前の風景。いかにも黄金色に色づいた、稲刈り前の田んぼに見えるけど、違います。もう、7月終わりには稲刈りが済んだ田んぼ。その田んぼの蘖が、こんなに育ってきました。ひこばえ。再生稲ね。この蘖でも、かなりのお米が採れそうでうすけんどね。
高知の二期作は、蘖の活用から始まった、とされてます。
明治生まれの方の聞き書きでは、芝刈りの大変さが描かれてます。そう。桃太郎のおじいさんがやってた、芝刈り。
これ、山へ燃料用の木々を採りに行く、と思ってしまうけど、一番の芝刈りの目的は肥料だった。以前にも書きましたね。山で、田んぼの肥料にするための木々を採ってくる。田植え前の田んぼに生け込み、足で踏んで水につばからせ、腐らせる。刈敷と呼ばれた肥料だ。
もちろん、各農家で飼っていた農耕用の牛の堆肥が一番の肥料になるけど、それで足らない部分は、芝刈りで採ってきた木々の枝や草を肥料にしていたのでありました。鰯カスなどの肥料が発達してきた明治期でも、山では、やはりそんな肥料を使っていたことが、わかる。
千歯扱きは足踏み脱穀機になり、自動の脱穀機になり、コンバインになった。
木々や草肥は、お金で買える鰯カスなどの肥料になり、化学肥料になった。
コンバインはどんどん進化するけど、肥料事情は、堆肥や有機肥料も重要視されるようになり、多様化が進んだ。
この再生稲。このまま刈り取ってロールにし、ラップで巻いて発酵させるとホールクロップサイレージという飼料になりますね。そんなことをやり始めたのも、近年のこと。
農作業も農業も、どんどんと変わっていく。僕らの仕事も変えていかなくっちゃ。