雨の五台山登り口〔5626〕2018/09/10
2018年9月10日(月)雨のち曇り
昨夜も降りました。ホント、よく降ります。今朝、夜明け前までかなり強めに降っていた雨も、ようやく弱まってきた月曜日。写真は今朝、4時頃の五台山登り口。青柳橋東詰の欄干の上にカメラを置いて撮影しました。この交差点からは、5本の道路が放射してます。一つが、これには写っていない青柳橋。右の道が、法師ヶ鼻を通って五台山の南裾を周る道路。その左はその旧道で、吸江禅寺正面につながる道。ここを左へ行くと、五台山北麓を通る古い道。そして、その間が五台山へ登る車道。
この車道、五台山の山頂までつながる車道で、現在はこちら側から登り、南へ下っていく一方通行。昔は対面通行で、大きなバスが通るので大変でした。
ここに道路が作られたのは、なんと戦前。昭和12年に作成された市街地図には。ちゃんと道路が描かれてます。当時から五台山は、高知の市民にとって大切な山だったことがわかります。竹林寺さんもあるし。この昭和23年1月撮影の航空写真、高解像度表示をご覧ください。車道がはっきりと写っているのが、判る。
その道路は狭く、バスが通るのに難儀したということで、昭和42年に「五台山観光道路」として拡幅されました。南へ下っていく道路は、その際につくられたのか、その前からあったのか、不明。
牧野植物園ができたのは昭和33年。昭和42年に道路が拡幅されるまでは、往生したでしょうな。そうそう、ロープモノレールが完成したのは昭和44年(昭和53年廃止)で、その頃は、ちょっとした五台山ブームになっていたのかも知れません。昭和53年には、牧野植物園に天皇陛下が来られてます。甫喜ヶ峰で植樹祭が行われた時だ。植物に詳しく、とても植物が好きだった昭和天皇が、高知に来て牧野を訪れない訳が、ない。僕が園長だったら、粘菌の話をしたのに。
この、登山道路の入り口には看板。「五台山公園 竹林寺 牧野植物園」に並んで「伊達兵部の墓」。この墓所についてはこのにっこりでも幾度も書いてきたのでご存知とは思います。が、ほとんどの高知県民、「伊達兵部は誰で、何故ここに墓があり、こんな説明板があるのか」についてはご存知無いと、思う。かなりの唐突感が、あるのは否めない伊達兵部。雨の五台山。
南海トラフ大地震が発生したら、この五台山も命山として、たくさんの人が避難してくることになると思う。嘗ての南海地震のとき、そうであったように。
昨日の新聞に「北海道沖 巨大地震の恐れ」という衝撃的な見出しの記事がありました。そう。今回の地震のように、内陸断層型の地震が多く発生すると、それはプレート型巨大地震の前触れかも知れない、という記事。東日本大震災の場合でも、2003年から宮城県北部地震、中越地震。中越沖地震。岩手宮城内陸地震など、が連続して発生していた。それは、大震災に至る過程であった、と。
だから、北海道でも、内陸部での地震の発生は、道東沖のプレート型巨大地震の前兆である可能性も否定できない、というもの。
これは、実は南海トラフも同じ。
近年の、内陸型地震。2016年4月の熊本地震。10月の鳥取中部地震。そして今年6月の大阪北部地震。これが前兆でないと、誰が言い切れよう。
予知は、不可能。いつ、発生するかの予知は、べき乗則の自然原理によって、不可能。だけども、少なくとも、プレートに緊張が高まっているのは間違いない。ちょっとした、何かのきっかけ。それで発生するのが、大地震。僕らは大自然の美しさの中で生きているけど、大自然の脅威の中でも、生きている。