夏の子ども〔5611〕2018/08/26
2018年8月26日(日)良いお天気
高知の子どもたちにとっては、今日が最後の日曜日。さあ。遊びに出掛ける余裕はあるかな?
昨日の南嶺。朝のうち雨だったこともあり、途中、人間にはほとんど会いませんでした。そして森の中はツクツクボウシの大合唱。ツクツクボウシの森。少しだけミンミンゼミも聞こえるけど、ほとんどがツクツクボウシ。もう、夏も終わりに近づいていることを教えてくれるツクツクボウシ。なんとなく寂しい、夏の名残惜しさを盛り上げる、ツクツクボウシの声。
写真は、五台山北麓から撮影した風景。青い空。白い入道雲。緑の蘖。過ぎゆく夏。
そう言えば、僕らが子供の頃、夏休みの宿題に「夏の子ども」という冊子があった。ありました。表紙は、子供が描いた絵で、学年によって内容が違うのね。毎日毎日、ちょっとづつやっていくような仕組みの冊子だった。でも、毎日毎日やっていた子供は少なかった。
そして迎える夏休み最終盤。
僕らは、大橋通りの近くのマー坊の家に集まった。毎年、夏休み最終盤の恒例になっていた、マー坊んち集合。8月29日、30日くらいだったと思う。マー坊んちは広くて、家の下がお店になっていて、お店で働く従業員さんたちが、一緒にご飯食べてました。大人数が一緒にご飯食べれる仕組みになっていたので、集合した僕らも、お昼ご飯、ご馳走になったりしてました。
そのように、集まるのに都合の良いマー坊んちで、とにかく夏休みの宿題を仕上げるのだ。
問題は「夏の子ども」。そしてお天気表。
お天気の表は、誰かちゃんと毎日つけてる奴が必ず居る、というより、その集まりには必ずそういう奴を引っ張り込むことが必須な訳で、それを写せば事足りるのである。しかし問題は「夏のこども」。絵日記みたいなのを書かんといかんかったりして、人がやったのを丸写し、という訳には参らんのだ。
子どもなりに想像力を働かせ、最後の方はもう、先生はもちろん誰が見てもやっつけ仕事の雰囲気満載なんだけど、とにかくページを埋めた、あの夏の記憶。
「夏の子ども」。
あの「夏の子ども」という名前だった宿題冊子は、高知県だけのものだったと、今、知りました。いや、名称のことね。「夏の子ども 夏休み 宿題」とかで検索しても出てこない。おかしいな、と思い、「夏休み 宿題 冊子」で検索したら、「夏休みの友」でウィキの項目が立っているのを発見。それには、夏休みの宿題に配られる冊子は、「夏休みの友」「夏の友」「夏の生活」「夏休み帳」などがある、と書かれており「夏の子ども」は出てこない。大手出版社が発行するものと、都道府県単位で制作されるものがあったとある。
なるほど。高知県が独自につくってたのが「夏の子ども」か。高知だけだったのか。
でも、僕らにとって夏休みの宿題と言えば「夏の子ども」だ。
で、調べてみると、「夏の子ども」は2001年度で廃止された、とある。道理で、うちのJr.達が小学生の頃、夏休みの宿題に「夏の子ども」を見た記憶がないはずだ。いや、Jr.1号は、2001年に小学1年生だから、際どいですな。もし、2001年度からではなく、2001年度を最後に、であったとしたならば、Jr.1号は、「夏の子ども」を体験した最後の世代となる訳だ。どうでも良いけど。
今は、お天気はもちろん、様々な情報がネットで調べられる時代。自由研究のアイディアもネットに満載。宿題事情は、あの僕らの頃の夏と、随分と変わりました。
お天気を調べるのは簡単だけど、別の意味での大変さが、今の子供の夏休みの宿題にはあるんでしょうね。
でも、夏休み最後の日曜日は、どこにも遊びに行けず、親と一緒に必死で自由研究を仕上げる。この風景は、昔も今も、同じ。今日、遊びに出かけて居る親子連れは、もう、自由研究仕上がって、余裕があるんでしょうな。もしくは、開き直ったか。
ともあれ夏休みの最終盤は、なんとなく寂しくて儚くて、セピア色だ。