始まる蝉の季節〔5564〕2018/07/10

2018年7月10日(火)晴れ
久々。本当に久し振りの、湿気のない、爽やかな朝。やっと、夏本番。
西日本豪雨の被害状況が刻々と明らかになってくるにつれ、その凄まじさに衝撃を受けます。本当に、心よりお見舞い申し上げます。
昨日、広島県のお客様と話しましたが、道路の寸断、断水など、日常生活には程遠い状況がまだまだ続きそうだとのこと。まだまだこれからが復興本番になります。それぞれが、できることを、粛々とやっていくしかありません。
長い長い長い大雨がやっと終わり、夏になりました。炎天下の復興作業は大変ですが、雨はもう結構。水分補給をこまめにしましょう。
ここは静かな朝を迎えた、いつもの上岡八幡宮。拝殿の階段が濡れていないのは、ほぼ一週間ぶりのこと。そして、大雨のときには聞こえなかった虫の声。しかも、蝉の声が始まりました。夏本番。
朝っぱらから刺激の強い写真で申し訳ございません。八幡様の参道に転がる蝉の抜け殻。大雨の中、地中で、雨が上がるのを待ち焦がれていたんだろうと思います。やっと訪れた恋の季節、これからワシャワシャと大合唱を始めます。
でも、この写真は早朝。
4時半過ぎに上岡の集落を通っていると、どこの場所でも「ジーーーーーーーーー」。八幡様の森でも、あちらこちらから低くく静かに「ジーーーーーーーーー」。これは、僕の想像するところ、ウォームアップだと思います。そう聞こえます。まだ、夜が明けたばかり。明るくなってきたばかりなので、静かに「ジーーーーーーー」。
アップが済むと、たぶん、「ワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャ」。
天候不順になろうと、記録的な大雨が降ろうと、大自然は粛々と運行され、季節は着実に移ろっていきます。梅雨が明けたら蝉の季節。太古の昔から。
何年も、土の下で幼虫として過ごし、最後の数日間、土中から這い出てきて成虫になり、鳴き、繁殖して死んでゆく、蝉。一生の晴れ舞台が最後の数日間、と、人間の視点からは見えてしまうけど、たぶんそうではない。蝉にとっては、圧倒的長期間過ごす土中での生活が、生きる、ということだと思う。そして、将来に遺伝子を残す為に、最後に地上へ出てくる。
かの、博物学者にして知の巨人、南方熊楠の本を読むと、生物が生きる、ということの意味、その深淵さを考えさせられます。粘菌は、植物と動物の間を行き来する生命。粘菌が生きるときの、その内部空間に思いを馳せる。
科学的に、動物の分類とか、その生化学的生態などを調べても、生きる、ということの本質には到達できない。
生物体の、目に見えない内部空間にこそ、その生命の本質がある、と主張した熊楠。
この抜け殻は、蝉としての土中での長い人生を終え、遺伝子を伝える、という最後の目的の為の戦利品。
生物は、それぞれの命を、懸命に生きています。大自然の正確なサイクルの中で。
大水害の一週間が過ぎ、蝉の季節が始まり、みんな、復興に向けて頑張っています。僕らも頑張らんといけません。生命ある、生物として。