10度の傾き、大鋸屋橋、高橋〔5420〕2018/02/16
2018年2月16日(金)晴れ
暖かい朝だね。このまま春へ、突き進もう。
昨日、北東10度の傾きの発見について、興奮気味に書いてます。ひょっとしたら、奈良時代以前、官道たる南海道と国府には、北東10度の傾きが重要な意味を持っているかも知れない、という妄想。で、今朝、いろんな場所の、いろんな官道や国府を調べてみました。ついでに、藤原京、平城京から唐の都、長安に至るまで。
でね。北東10度の傾きは、他には発見されませんでした。おわり。
いや、偶然にしては出来過ぎ感があったので、何かあると思うたんですよ。高松市街の傾きと、土佐で発掘された官道の傾きと、その傾きに合わせた南国市の平野の条里。
藤原京や平城京はまっすぐ南北につくられちゅうしね。
でもね、南国市の平野の10度は、見事なんです。未練たらしく、地理院地図、空港界隈の田んぼの条里にコンパスをあてて撮影してみました。ね?10度。
ここには古い弥生集落の遺跡がある訳で、そこに、官道の方向に合わせて条里が組まれ、今のような整然とした田んぼができていったのか。
いや、逆も考えられる。弥生時代の伝統を引く条里のような区画が先にあって、その方向に合わせて官道が作られた。まあ。どうでも良いです。10度の傾きに壮大な意味がある雰囲気ではなくなったので。
で、写真。未練があったのでこんな写真になったけど、本来の今日のにっこりで紹介する写真は、この左手のやつでした。今朝、3時前の堀川。今朝はそんな時間に出勤してみたんですね。早朝の工場。
堀川と申しましても、河口に近い鏡川大橋から、西向いてズーム30倍で撮影しました。はりまやばし商店街の東のNTT東局が、あんなに近くに見えてます。ズームですき。
プレジャーボート停泊地になっている堀川。途中に見えるアーチ橋は水道橋。その向こうに見えるのが、大鋸屋橋。堀川は、堀詰から流れてきて、あの向こうで少し右に屈曲し、こちらへと流れてくる川でした。かるぽーとの前は、堀川と横堀の交差点で、交通結節点としてとんでもない賑わいを見せていた、という話はブラタモリ高知編でもやりました。
つまり、あの大鋸屋橋の下を、夥しい船舶が往来していた訳だ。
明治になっての市街図では、あの橋は大鋸屋橋。江戸時代の絵図を見ると、あの橋は「ヲガヤハシ」と書かれたり「高橋」と書かれたり。
そう。堀川の、最下流部に架けられた橋なので、その下をたくさんの船が行き交う。そこで、邪魔にならないように、その橋は、高く高くアーチ状につくられた。高い高い橋なので、高橋。
そう言えば、NHKで人気になっている人名探求バラエティ「日本人のおなまえ」で、日本人に多い高橋という姓も、たぶんやっていたと思う。あの番組で解説者をやっている人名研究科の森岡君は、中学高校の同級生で、大学も一緒だったりします。昔から、あんな、人がやらないようなことを極めるやつでした。すごいね。
で、番組ではどのような解説になっていたのか、観れてないので知らんけど、高い橋からきているのは間違いない。
高い橋は、その下を船が往来する必要があるから、高い橋。たぶん、アーチ状のが多かったと思う。
高知の城下の高橋も、そんな高橋のひとつ。
今は平板な橋、大鋸屋橋になっているけれど、その昔は、手前の水道橋のようなアーチ型の橋であったと思われる、高橋。そんな風景を想像しながら、午前3時前の堀川をズームで撮影するおじさん。ちょっと、不審者に見えます。