砂の女、銀河帝国の興亡、夏の扉、構造素子、子連れ狼〔5412〕2018/02/08
2018年2月8日(木)冷やいけど、ぬくい
冷やいけど、昨日とかと比べたら、ぬくい朝。昨日の朝の冷え込みは、特に酷かった。あちこちの酪農家さんで、水が出んなったりして大変だったとのこと。氷点下でも、-5℃を下回ったらね。高知ではね。対応しきれません。やっと、寒さも緩んでくるという予報もありますが、まだまだ予断は許さない(だって今朝も-3℃ですき、充分、冷やい)状況。気を付けましょう。
でもあれですね、慣れてくると、感覚が麻痺してくる。充分すぎるほど冷やいのに、なんとなく暖かく感じるのが人間の不思議。
なんか、昔学生の頃に読んだ、安部公房の「砂の女」を思い出した。
写真は今朝5時に、久枝海岸から見たお月さまと、木星、火星、さそり座。半月に照らされた太平洋が美しい。お月さまの真下に輝く明るい星が、木星。その左下にさそり座。そして、サソリの右のハサミの左下に、火星だ。ちょっと薄雲に隠れてみえにくいけど、左下に見えるのは土星でしょうか。
木星、火星、土星が直線状に並んでます。
惑星といえば、こないだ、アメリカ、オクラホマ大学のチームが、我々が住む天の川銀河ではない、38億光年離れた銀河で、惑星の存在を確認した、というニュースをやってました。アインシュタインが予言した重力レンズの影響を分析し、恒星以外に惑星も存在することがわかった、てなニュース。う~ん。そりゃあ、あるでしょう、惑星も。これを「発見」というのかどうかは知らんけど、まあ、科学は進歩している、ということだ。
こういう観測宇宙科学と同時に、近年の宇宙論の進み具合は激しい。実に、激しい。多次元宇宙の存在は当たり前で、数学的に無限の宇宙の存在が示唆されている、今の宇宙論。僕らが子供のころからは想像もつかない、極めて数学的で形而上学的な宇宙の姿が、当たり前になってきてます。これはこれで、ワクワクする。
でも、昔のSFも、好き。アイザック・アシモフのシリーズ物とかは、よく読みました。宇宙戦艦ヤマトの「ワープ」は、アシモフの「ジャンプ」から拝借したアイディアだよね。
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」をリスペクトした「銀河帝国の興亡」、ファウンデーションシリーズは痛快丸かじりだった。
あと、ハインラインの「夏の扉」は傑作。昨年読み返してみて、思わず引き込まれてしまった。科学が栄光であった時代のSF。科学の進歩の先には、輝かしい未来があった、あの頃。あんな大団円のSF小説は、もう、現れないのかも知れません。今はそんな時代になってしまった。
で、宇宙論の進歩とともに、SF小説というのも変わった変わった。スターウォーズみたいな娯楽映画ならともかく(あれは別に、宇宙が舞台でなくても成立する気がするし)、現代のSF小説は、素粒子物理学や最新宇宙論の基礎がないと、面白いものにならないのかも知れません。
今、ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞した「構造素子」というのを読んでるけど、まさしく、現代の、あるべきSFという感じに仕上がってます。
まあ、それはそれで、楽しい。
でもこうやって夜空に浮かぶ星を見ていると、あの火星に火星人が居た時代が懐かしい。
ジュールベルヌが、あのお月さまへの旅行を考えた時代は、さらに懐かしい。
宇宙論や素粒子物理学がいくら進歩しても、地球は変わらず美しい。また、変わらないように見えて、こうやって寄せては返す波は、元の波にあらず。それが地球というものの真実。
ああ。「子連れ狼」を思い出した。検索すると、ありました。これの第77話「波と笛と」。この感動の名場面、今もよく覚えてます。「寄せては返し、繰り返し、繰り返し、絶えることはない・・・」。
この夜明け前の美しい風景が、名作の数々を、脈絡もなく、思い出させるんでしょうかね。