天満宮、野見宿禰、相撲〔5367〕2017/12/25
2017年12月25日(月)晴れてきました
夜明け前。雲は多いものの、星もたくさん見えてきました。今日は晴れそう。
昨日からの雨、そして雲が多いのもあって、気温は高め。今の季節にしては暖かい朝。起きやすかったですよね。
写真は今朝、4時前の潮江天満宮。拝殿の扉も閉じられ、静かな静かな天神様。今日はクリスマスで、お正月まであと一週間。天満宮の本格的な正月準備はこれから。まだ、門松の姿も見えない。拝殿扉にいつも貼ってある、次の行事予定の紙が無いのが、少しいつもと違うスッキリした風情。
天満宮の御祭神は言わずと知れた菅原道眞公。で、道眞公は、野見宿禰(のみのすくね)の末裔という。菅原氏は、野見宿禰を祖とする土師氏の末。で、太宰府天満宮とかへ行くと、野見宿禰の名を刻んだ大きな石が祀られてます。
野見宿禰といえば相撲だ。すまい。元々の呼び方は「すまい」で、いつしか訛って「すもう」。漢字表記では、20世紀初めころまでは角力と書かれていたと言います。「相撲」になったのは最近のことなのか。
で、日本で最初に、人間同士で角力を取ったのが、野見宿禰と当麻蹴速(たいまのけはや)とされてます。たいまのけはやで変換すると当麻蹴速となるほど、当麻蹴速も有名な人物。大和国当麻邑の勇士、当麻蹴速が、その強さを誇って命を問わない勝負を欲していると聞いた垂仁天皇が、出雲で勇士と評判であった野見宿禰を呼び寄せて対戦させ、野見宿禰が当麻蹴速を蹴り上げて倒し、勝者となったのである。
で、勝った野見宿禰は大和国当麻を与えられ、天皇の覚えめでたく出世して、後の土師氏、菅原氏繁栄の基礎を築いたという訳だ。
当時の角力は、蹴りが中心の格闘技であった。
それはともかく、相撲は「取る」と言いますよね。力士は「相撲取り」だ。なぜ、相撲は「取る」と言うのか。同じ日本の格闘技でも、柔道も剣道も、そして空手も「取る」とは言わん。
いつから相撲は「取って」いるのかと言うと、野見宿禰の時代から。日本書紀に、野見宿禰と当麻蹴速の対戦を「すまひとらしむ」と表現しているそうだ。
相撲は、スポーツではない。元々が神事。プレイするのでも試合するのでもなく、取るのである。そしてその神事は、面白いので、日本人の娯楽の王様にもなった。
今、角界は揉めてますね~。僕には、誰が悪いとか正しいとか、判断できません。言えるのは、ちょっと、外野がうるさい。国際色豊かになり、色んな価値観が、それぞれの思惑の中で交錯する。
ここはひとつ、道眞公にお出まし願って、様々な価値観を広く広く押し包み、僕らを熱狂させる「良い」相撲を取ることに、力士を専念させる前捌きを見せて欲しい。
国籍や性別などは、最早、どうでも良くて、大切なのは、相撲を「取る」がむしゃらさと、想い。
考えてみれば、日本書紀の時代に、出雲から野見宿禰を連れて来るのは、現代、モンゴルから力士をスカウトしてくるより大変だったでしょうな。
雨上がり。
未明の、静かに美しい潮江天満宮で、道眞公、野見宿禰、相撲について考える。