闇夜の国から〔5360〕2017/12/18
2017年12月18日(月)晴れ!
晴れわたって、冷やい。朝、5時前の会社では、停めてある車のフロントガラスが全部、真っ白にカチバリついている。これぞ、冬。しんしんと冷える、冬の朝。そして、今日は新月。今晩から再びお月様は大きくなり始める。
昨日、五台山ミニ八十八ヶ所を苦労して巡っている話を書きました。案内人無しで、札所の順番にまわるのは、大変。迷う迷う。午後2時半から始めたこともあり、5時を過ぎるともう、暗くなって見えなくなってくる。暗い、お墓や五輪塔がたくさんの山道を、進む。時折、野良猫がガサゴソ動く。鳥が飛び立つ。なかなかの雰囲気だ。
今日が仕事でなければ、あのままヘッドライトを点けて探索巡礼を続けても良かったかも知れない。暗闇の五台山の山を、一人でたつくる。ちょっと、興味があります。ありませんか?
写真は今朝、5時前の上岡八幡宮。参道入り口の鳥居界隈。ここには街灯があって、少しだけ明るくなってます。でも、こっから向こうには灯りは無い。上岡山の黒い森。漆黒の森の中、参道を歩き、石段を上がり、お参りする。足元もハッキリしない闇の中。
真っ暗な森の中をお宮さんへ歩く。それはそれで、好きです。今の季節、蛇や毒虫の心配も無いので、暗い拝殿の階段を、靴を脱いで上がり、パンパン。
かつて、新月の夜は、闇夜でした。
現代日本では、平野部において闇夜を体験することはなかなか難しい。今朝も、空には満天の星だけど、高知市方面の空が明るい。遠くの街灯も、暗黒を和らげる。漆黒の闇、とは言えない現代の新月の風景。
江戸時代とか、新月の夜はどんな暗さだったのだろうか。足元も見えない漆黒の闇だったのか。それとも星明かりで、うっすらとは見える暗さだったのか。雲が立ち込めていたら、漆黒の闇だったのか。
暗闇が好きなのは、そこに非日常を感じるから。人間の考えが及ばない、なにか不思議な空気が流れているのが、闇夜。
そして、明けない夜はない。
井上陽水の歌に「闇夜の国から」という美しい作品がある。
闇夜の国から二人で船を出すんだ
海図も磁石もコンパスも無い旅へと
うしろで舵とるお前はあくびの顔で
夜の深さと夜明けの近さを知らせる
歌おうよ声合わせ 舟こぐ音にも合わせて
闇夜の国から二人 二人で舟をだしてゆく
何も無い、混沌の世界。何も無い、何もわからない闇夜の世界から、行き先もわからない、でも限りなく素敵そうな旅にでかける。
夜が明けたとき、そこには思いもよらぬ素敵な世界が広がっているかも知れない。メロディの美しさが、前途の素晴らしさを暗示する。
そう。闇夜には、そんな魅力もあると、思う。
暗闇の中で、何かわからない大自然の力を感じ、受け入れる。明るくなったとき、その力が身体に残っているのを感じる。
さあ。今朝、夜が明けたら雲ひとつ無い、どこまでも吸い込まれそうな青い空。
ああ。良い月曜日の朝だ。