今は昔の帯屋町の風景〔5331〕2017/11/19
2017年11月19日(日)晴れ
良いお天気の日曜日。中央公園のサニーフェスタもすごい人出で賑わってます。善き哉善き哉。
最近、高知の中心商店街の人の流れが変わってきました。人出も、少し戻ってきた。なんか、潮目が変わった感がありますよね。
そう言えば、中央公園も、かつてはこういった飲食のイベントを規制してましたよね。商店街の飲食店の営業妨害になるとかで。十数年前に高知街ラ・ラ・ラ音楽祭を始めた頃は、まだそんなこと言うてました。
飲食をやっても良いけど、テーブルと椅子は置くな、とかなんとか。設営に苦労した記憶が蘇ります。
いつしか、と言いますかなし崩し的にと言いますか、大々的に飲食のブースやテーブル椅子が並べられるようになり、今はもう、なんでもアリだ。「土佐のおきゃく」や「豊穣祭」はその最たるもの。
僕はそれで良いと思う。その方が明らかに中心商店街にとってプラスだし、なにより楽しいではないか。
そんな訳で、みんなで街へ繰り出そう!
中央公園はすごい人出ですが、帯屋町もこんな感じ。人、増えましたよね、たしかに。
今、土佐山田の香美市立美術館の企画展で、「記憶の街・記録写真は時代を歩く」というのをやってます。昭和51年頃の高知市の、なんでもない風景写真。街並、歩く人、田んぼ、川、山。特に街の風景は面白い。
昭和51年というと僕が中三か。あの頃の風景はハッキリ覚えてますが、今とそんなに変わらないイメージ。だけど、じっくりと当時の写真を眺めると、随分と変わってしまっていることに愕然とします。つい、こないだのことなのに。昭和51年というと、なんか、ついこないだのことのような気がしますよね。しませんか?
その写真群を撮影したのは写真家の武吉孝夫さん。
その当時にしてみれば、なんでもない風景。普通の、街並みの写真。それがこうやって40年以上も経ってみると(そんなに経ったのか・・・)、貴重な貴重なアーカイブになり、見る人の心を揺さぶる。ついこないだのことのようで、遥か昔のようで、手が届きそうで届かない、そんな過去。その風景を切り取って見せてくれる写真。
中には、帯屋町の写真もありました。そう。今日の、こんな感じの、普通の写真。でも、歩く人の服装、店構え、店舗、すべてが劇的に違う、40年以上前の帯屋町。
今日の写真は、帯屋町一丁目のアーケード。
このなんでもない風景も、今から40年を経過したら、懐かしさいっぱいのアーカイブとなるのだろうか。いや、なります。間違いなく。
だから、こうやってなんでもない風景を切り取って残しておくことは、実に大切なんだと思う。この向こうの東宝前、くいだおれ人形は、その頃まだあっただろうか。
中三の頃。
僕らはこの商店街で、吹奏楽部の定演総会「スプリングコンサート」のチケットを立ち売りしました。特に売れるのは中一とかの幼い子。僕も、中一の時には売りました。たぶん、中一の時は、合計で100枚以上のチケットを、ここで売ったと思います。このアーケードで。
あの時、チケットを買ってくれた人はどんな気持ちで買ってくれたのか。小さい男の子が健気に「チケット買うてください」とマッチ売りの少女のように声をかけてくるのを無下に断れず、寄付のつもりで買ってくれた人が多かったことは、容易に想像つきます。ごめんなさい。そんな良心につけこんでました。
今は昔。
もう、そんなことをやる吹奏楽部もないでしょうし、クレームになりますよね、たぶん。
この帯屋町一丁目のアーケードを通ると、あの、立ち売りを思い出して顔が赤くなってしまう。
今は昔の帯屋町の風景。