ぼたやん〔5299〕2017/10/18
2017年10月18日(水)晴れ!
やっと晴れた。秋晴れの朝。
ずいぶん前から、街中では金木犀の香りが漂ってますが、南国市の弊社でも、今、その香りの盛りを過ぎようとしてます。本社棟前の、大きな大きな金木犀。
前にも書いたけど、この金木犀は、かつて、秦泉寺の実家の裏庭にあったもの。その古い実家を取り壊す際、ここに移植してきました。
だから移植してきてからでも、もう、20年以上は経過する。ひょっとしたら30年。そんなに昔か。
金木犀の「木犀」は、犀の皮膚みたいな木だから、木犀。そう言われてみればそんな気もする。昨日ご紹介した榎は、夏に葉っぱが生い茂って程よい日陰になるので、木偏に夏と書くらしい。それぞれ、色んな意味があるんだね。
向こうに見える建物。あの建物が、この工場に中で一番最初に建ったもの。昭和40年のこと。その後、建て増し建て増しが行われ、第二工場や大きな冷蔵倉庫、本社棟などがつくられて現在に至ります。そのスタートとなったのが、あの建物。
外階段が見えますね。あの外階段を上がると、そこは見学通路。昭和40年ですきんね。まだ、高度成長でどんどんと世の中が生産力を増やしていた、あの時代。見学者の為の通路をつくる、という発想は、とても斬新であったと思います。たぶん、県下では最初の、見学通路付きの工場。
当時、見学通路からは、製造殺菌の模様と、充填の風景両方を見ることができました。それを見ながら通路を進むと、大きなホール。見学者は、そのホールへ入って牛乳ができるまでの説明を、聞く。
昔は、見学者の方に、記念品として鉛筆などを渡してましたね。いや、懐かしい。
僕も、幼稚園の遠足で来た記憶があります。まだ完成したばかりの工場へ。
幼稚園は、昨日ご紹介した旧本社のすぐ近く、同じ町内会にありました。たぶん、そんなご縁で、早速新しい工場への遠足となったんだろう。
今も、その見学通路は健在。もちろん、改装とかが施され、往時とは風景も変わりました。見学通路から見えるのは、タンクと、充填風景。製造殺菌の施設は、充填室と完全に隔離されました。もちろん、衛生環境を整える為。でも、建設当時の基本的な考え方は、今も生きてます。
昭和40年に工場ができて、10年ほど経った頃の工場全景が、これだ。お馴染み地理院地図。そして、現在の全景が、これ。
随分と変わりました。
この工場を立ち上げる時から、つまりあの建物を建てる時から尽力くださり、工場長や生産部長を歴任して下さった窪田さんが、昨日、逝去されました。窪田さんと言うよりも、僕らにとっては、ぼたやん。愛すべきぼたやん。今も、酪農家さんとの会合などには必ず出てきて貰っていた、ぼたやん。あの工場は、ぼたやんとともに、ありました。
これからも、その思想を引き継いで、発展させていきます。ぼたやん、本当にありがとうございました。