歴史を学ぶ〔5281〕2017/09/30
2017年9月30日(土)晴れ
そんな訳で、9月30日。
帯屋町のアーケードや高知駅、イオンモールには、本日「ブラタモリ」高知編が放送される告知の垂れ幕やポスターが掲げられている、と言います。で、高知新聞裏面、テレビ欄では、NHK19:30~20:15にブラタモリの部分だけ、色付けされてました。すごいね、どうにも。
さてさて。どんなになることやら。ここまで来たらまな板の上だ。
ところで、どんな街にも、歴史がある。色んな歴史があって、現在の姿は、その歴史の文脈上にあったりするので、面白い。弊社を、高知の皆さんに愛していただく為に、まずは高知を愛そうということで意識し始めた高知の歴史ですが、いや、本当に面白い。
その学ぶ手法も良かったんだと思う。街中を走り、歩き、気付いたことを調べる。調べてわかったことを、また歩いて確認する。現地に立ってみる。この方法なら、僕でもできる。
昔、高知の歴史に興味を持ち始めた頃、朝倉の、朝倉城址へ行きました。高知大学の西側の山の上。戦国期、本山氏の居城としてつくられた朝倉城は、詰の段を中心にして今も、往時の面影を偲ばせてくれる。その詰の段からは、その頃、高知の城下やその先まで見晴らすことができました。今は樹々が成長して、見えんなってますが。
本山氏は、四国山中の本山から出てきて戦国後期に土佐に勢力を広げ、長宗我部氏と戦国土佐の決勝戦を戦うことになった偉大な一族。ご承知の通り。
本山茂辰のとき、長宗我部元親と激烈な戦いを繰り広げる。そして徐々に押され、最後は朝倉城に火をかけて本山へ逃げていき、長宗我部に滅ぼされた、本山一族。
朝倉城址に、その時自分の足で立ってみた。本山茂辰になったつもりで。
そして元親と争奪戦を繰り広げた土佐の中原に、目を落とす。元々は本山氏の勢力圏で、どんどんと侵食されてきた土佐の中原。ふと、遠くに目をやる。土佐の中原を挟んではるか東に、岡豊山が見えた。(見えた気がした)
その時、胸に痛みが走った。
土佐一国を支配する勢いで勢力を伸ばしてきた本山氏が、長宗我部に攻められ、その本拠の朝倉城に火をかけ、退いていく。長宗我部の本拠である岡豊山を目にしながら。
朝倉城址から岡豊山を見た(見えた気がした)時、茂辰はどんな気持ちだったのか、完全に理解できた気がしました。そして、胸に、痛みが走った。
歴史を学ぶ、ということはそういうことだ、と、その時思いました。そして、面白くなった。
現地に立ってみる。感じる。何かに気づく。調べる。想像する(妄想する)。
高知の城下にも、たくさんの歴史があります。そしてその地形や街の姿には、その場所の歴史が投影されていたりする。
ここはひろめ市場の東。僕は、ここが「ひろめ屋敷」と呼ばれた住宅密集地であった頃、この左側にあった追手前小学校に通い、帯屋町や大橋通りで遊びました。
だから、昭和の頃のこの界隈の歴史は、知ってます。
何故、ひろめ屋敷はあんな住宅密集地になったのか。その後、何故、ひろめ市場になったのか。何故、この界隈には学校が並ぶのか。帯屋町は武士の街で、明治以降は公共施設や病院の街だったのに、何故、高知一の商店街になったのか。
そんな疑問を持ち、解き明かしていくと、高知の街がとても魅力的に見えてくる。そして、高知を以前よりも深く深く愛するようになったのでありました。
これで、ひまわり乳業を高知の皆さんに愛して頂くための必要最低条件が、少しは整ったでしょうか。
今夜は、ここで、ブラタモリを観ます。