屋頭、英語、南海地震、濱口雄幸〔5275〕2017/09/24
2017年9月24日(日)薄曇り
日曜日。今日は、午前中所用を済ませた後、五台山。牧野植物園では、今、「きび」の企画展やってます。きび。トウモロコシですが、高知の山間部で育ててきた伝統種の、きび。確かに、トウモロコシのことを「きび」と呼んでいた、あの頃の風景が蘇る。
今も、昔ながらの「きび」を、自家播種でずうっと栽培し続けている人が、たくさんいらっしゃる、ということがとても嬉しかった。今風のスイートコーンではなくて、きび。
昭和40年代の、椿山(つばやま)の焼畑風景の写真がたくさん展示されていて、とても感慨深かったです。椿山といえば、焼畑。今はもう、担い手も居なくて、廃れてしまった焼畑。でも、あのような山中では、一番生産性が高かったのでありましょう。椿山は、このにっこりでも、幾度かご紹介しました。
で、牧野を後にして、長江へ駆け下る。五台山南麓の、少し切れ込んだ長江。昔、五台山が大島と呼ばれる島であった時代には、切れ込んだ細長い入り江であったのでしょうね。長江という地名は、往時の景色を想起させてくれる。
その長江から、青柳中学校の南を通っていくと、ここに出ます。屋頭。やがしら。五台山麓の、大昔からの集落がある屋頭。農業用水と並行して走る道路を、バトミントン部と思しき女子中学生が自転車で走ってゆく。会話が漏れ聞こえました。
「なんで英語らあがあるがやろうね~。外国行くことなかったら、使わんやいかね~。」
ふむふむ。わかるぞ、その気持ち。英語という科目から逃避したい、その気持ち。わかる。
でもね。逃げられないんだな、これが。
彼女らも、たぶん、そんなことは百も承知の上で、なんとなく異議を申し立てておきたい、そんな気持ちだね。やっちょいて損はせんので、頑張りましょう。
で、屋頭。
1707年(宝永四年)の南海トラフ大地震。その被災状況を、奥宮正明さんという能吏が克明に記録したのが「谷陵記」。その「谷陵記」には、屋頭の被災状況が、このように記載されてます。
八頭(屋頭のこと)
潮ハ山マデ 家ハ檐(ノキ)ヲ侵シ 冬ヲ終テ干落ザレバ 居民所ヲ失ヒ 山處穴居ノ有様 目モアテラレズ
屋頭は、五台山界隈では一番人が住んでいた地域なんでありましょう。そこが、長期浸水で。復興に多大な時間がかかったという事実が淡々と記載されている。
来るべき南海地震にも、この事実を教訓として、生かしていかんといけません。そんなことを考えながら、今日は屋頭から西進し、東武運動公園経由で五台山の北へ。時折、自分を律し、自分を見つめ直す為に訪れる、濱口雄幸さんの生家へ、今日も行ってました。
今の政治家たちにも、ぜひ、この場所を訪れ、静かに自分を見つめて直して貰いたい。僕は今日もまた、見つめ直してきました。