介良と長岡郡〔5272〕2017/09/21
2017年9月21日(木)晴れ
久々に自転車出勤。一昨日は会社から走って帰りましたが、昨夜は自転車で帰宅。で、今朝は自転車出勤。今乗っている自転車は、黒い折りたたみ号。以前の白い折りたたみ号からは随分進化しまして、7段変速です。安い折りたたみ自転車にしては、なかなか優れものだと可愛がっています。いつもは折りたたんで車に積んでおき、いつでもどこでも車から降ろして使う。航空母艦に搭載した戦闘機みたいなもんだね。便利便利。
ここは介良。幾度もご紹介してきた、介良の中心部。随分と風景も変わってしまいました。同じアングルで8年前、2009年7月に撮影したのが、これ。道路の広さが全然違うことがおわかり頂けましょう。8年前に倉庫みたいなのがあった場所に、駐在所ができた訳です。
風景は変わってしまいましたが、この合併記念日だけは変わらずに元の場所で頑張っているので、どこがどう変わったのが、よくわかる。
農協のガソリンスタンドがあった界隈に、JAの新しい大きな建物と直販所ができました。
この写真では写ってませんが、元々の農協の建物はこの向こうの左手にありまりたが、今は広い駐車場になりました。
この拡張された道路も、まだ工事中で、半分は供用が始まってません。もう、ここが広い道路になるのも時間の問題となって参りました。介良、中心部。
僕らが子供の頃は長岡郡介良村であった、介良。同じく長岡郡であった大津村と一緒に、高知市に編入合併されたのが昭和47年。僕が小学校5年生の時なので、まあ、こないだの話だ。
長岡郡というと、現在は大豊町と本山町だけ。こっからは随分遠いですな。
元々の長岡郡は、広い。南は現在高知市の三里村から、五台山村や高須村も、長岡郡。現在南国市の十市村から大篠村や野田村、岡豊村、長岡村も、長岡郡。香美市新改村とかも含んでいた、長岡郡。
三里村とか五台山村とか高須村とかは、昭和17年に高知市に編入。十市村とか大篠村など、現在の南国市に含まれる地域は昭和34年に南国市ができた時に、南国市になって、長岡郡ではなくなったのでありました。
このとき、大津村と介良村は、長岡郡の飛び地になった。
元々の「長岡」という地名は、JR土佐長岡駅界隈が長岡村で、土佐山田、長岡、ごめんと繋がる洪積台地のことを「長岡」と呼んだから。舌状の、長い岡ですきんね。地理院地図で見ると、長岡台地がよくわかります。
しかしそもそもの長岡台地は、昭和34年に、長岡郡ではなくなり、大豊町、本山町、そして介良村と大津村だけが、長い岡とは関係ないけど長岡郡として残ったのである。
そして昭和47年。遂に、介良と大津は高知市になり、長岡郡は大豊町と本山町だけになって、現在の人口は7000人。今はこの介良だけで人口13000人。長岡郡の倍近い人間が暮らす、元長岡郡の介良。
これからも、風景はどんどん変わっていく。変わらないのは、この合併記念日だけなのか。
いや、もっと変わらないのがあった。向こうに見える介良富士。太古の昔、ここが気良郷と呼ばれた時代から、いや、もっと遥か、旧物部川がここを流れていた時代からあの姿で存在し、そしてこれからも変わらずに介良を睥睨していくであろう、介良富士。
変わっていくもの、変わらないもの。