絵図の中の箕浦猪之吉〔5220〕2017/07/31
2017年7月31日(月)夏晴れ
暑い。今日も、暑い。善き哉善き哉。
高知の城下を描いた絵図というのは、たくさん存在します。今日ご紹介するのは、その中でも幕末に近い頃の様子を描いた「慶應初年廓中高知街図」。と、申しましても、この図が完成したのは大正四年。この図の頃から言うと、50年も経過している。
なので、多分に、明治になってからできたものなどが入り込んでいる可能性もある訳だ。
でも、潮江天満宮界隈などは、結構詳細に描かれていて、昔の道や建物の配置がどうなっていたのか想像するには最適の、図。
で、この写真は、その図を右上から撮影したもの。右上が南西。左下が北東。左下の、かなり細かく文字が書き込まれている部分が、郭中。かちゅう。上級武士が住んだエリア。北を大川(江ノ口川)、南を潮江川(鏡川)、東と西に拾い堀が流れ、その外とは一線を画されていた郭中。
通常、上級武士は郭中に住んだ訳だが、郭外に住んだ上級武士も、おりました。
そんな武士の氏名が、この絵図では、空いたスペースを利用して書き込まれているのであります。そういった意味では貴重な絵図。
で、中央上の「潮江村住居」。
上段、右から2番目。土居町 箕浦猪之吉、と見える。おう。箕浦猪之吉さんではないか。そうか。この絵図は慶應初年頃の風景なので、箕浦猪之吉さんも当然健在だ。
箕浦猪之吉は、堺事件の烈士。
堺事件、ご存知だろうか。慶應四年(1868年)、泉州堺の港湾警備を、土佐藩が担当していた。箕浦猪之吉は、警備担当の6番隊司令だ。
警備をしている折、フランス兵が上陸する。土佐藩側の認識不足もあって、フランス兵を威嚇の上発砲、11名の死者を出してしまった事件。
フランス公使レオン・ロッシュが激怒、日本側との交渉の末、発砲した土佐藩士が切腹するということで決着した、堺事件。
一番最初に切腹したのが、6番隊司令、箕浦猪之吉であった。
その様子は、森鴎外の「堺事件」に凄絶に描かれているが、朝っぱらなので、その描写はやめときます。詳しくは、こちらをどうぞ。日本人のハラキリが世界に印象づけられたきっかけになったとも言われる、凄絶な切腹をしたのが、箕浦猪之吉。
今朝、この絵図を眺めていて、この有名人の名前を発見して、ワクワク。無機質の地図が、いきなり歴史の現場としての臨場感をもって迫ってくる。そんな感じ。
本やテレビとかで見る歴史も、まさしく、そこにあった、そこで繰り広げられたもの。なんとなく別世界のことと思いがちだが、すぐそこ、身近にあったもの、という認識は、大切なのかも知れません。
そんな現実感の中で歴史を見ず、理想化したり、自分が見たいと思うようにしか見なかったりすると、大きな間違いを犯してしまう。そんなことを思わせてくれる絵図が、ここにある。