祭りの準備と保守主義〔5187〕2017/06/28
2017年6月28日(水)梅雨
雨。梅雨らしい雨が朝から降ってます。
ここは潮江天満宮。明後日には夏越しの祓、輪抜け様、ということで、準備は着々と進んでいる模様。まだ、巨大茅の輪は出現してませんが。
この、参道脇に並ぶ木の棒。これが、こないだ氏子のおばちゃん達が準備していた紙製絵馬が掲げられる、杭。ここに絵馬が取り付けられ、内側から照らす電球も配備されます。
ところどころの杭に、町名を書いた札が押しピンで貼り付けられてます。写真左端を見ると「菜園場町」。
なるほど。
想像するに、この絵馬は、天満宮の氏子エリアを、町単位で分け、町単位で奉納数を割り振っているのではないだろうか。菜園場町は、絵馬、5個ね、みたいな感じで。それを受けた町の方は、なんとかその数を確保し、奉納する。そういう仕組みだ。たぶん。
ざっくりと絵馬奉納を募集している訳ではないんだ。キチンとエリア別に割り振り、システマチックに集めていく。このやり方は、大昔から続けられてきたものなんでしょうね。このやり方が一旦定着すると、さほどの労力をかけずとも、合理的に業務を遂行することができる、という訳だね。
長く続く仕組み、というのは、それなりに理由がある。そう。現在できあがっている仕組みというのは、長い時間かけて構築されてきた合理的な仕組みである場合が、多い。確かに、時代の変化によって変化させていかなければならないことも多いが、大勢に影響のない伝統は、崩してはならないことも多い。
英国のエドマンド・バークが、フランス革命の行き過ぎを反省しつつ、保守主義を提唱したのはご承知の通り。
改革していく、ということはかなりのリスクを伴う。なので、現状を確認しながら、変える場合も少し変えてみて、ダメなら戻る。そういった方法を繰り返す方が、理由を問わずなんでもかんでも変えてしまるよりはリスクが少なく、そして巧くいく。そう考えるのが、本当の保守主義。
現状の閉塞感を打破していく為に、何かにターゲットを決めて改革していくのは、良い。しかし、何故、現在の仕組みがあって何故、それが続いてきたのかも検証しないと、無謀な議論が起きてしまうことがありますよね。変化させる、というた方が、格好よさそうだもん。
例えば、以前、このにっこりでも書いた、日本の酪農業における、指定団体取引改革の問題。
系統取引とかは、とかく悪者にされやすく、これを破壊することは一見正義に見えてしまう。しかし、長年かかって構築してきた現在の役割を検証しないと、だめ。
現場のことがわかってない人だけで新しい仕組みを決めるほど、恐ろしいことはない。
強引に変えることが、一般的に見ると格好良く見えてしまうので、始末が悪い。
結果の責任を負うのは、そういった議論を推進した人ではなく、現場であるということを忘れてはなりませんね。
この、輪抜け様で構築されてきた合理的システムを見ていて、そんなことを考えてしまいました。
「菜園場町」と書かれている札が逆さになっているのは、矢印の方向を合わせる為でしょう。
矢印方向を合わせる為には、二種類の札を作ると考えそうなもの。
「そんなもん、逆さにしちょいたらエイぢゃいか。人に見せるもんぢゃあないき。」と誰かが言うたのかどうか知らんけど、そんなことやと思う。
そんな知恵も、長年長年の氏子さん達の経験の積み重ね。
先人達の知恵がつまった、合理的運営が為される、輪抜け様。