ここがパックリ割れている理由〔5177〕2017/06/18
2017年6月18日(日)晴れ!
良いお天気の、日曜日。
昨夜は、高知のJA関係のエライてさんがたくさん集まる会合で、飲んでました。
やっぱりね。農協さんにとって一番大切なことは、農家に寄り添うこと。解るひとは、解ってます。
これからのこと、考えると、もっともっと農家に寄り添い、改革改善していかんといかんのは、間違いないが、昨今の、農協を悪者にするステレオタイプの風潮には、強い違和感を感じる。
官邸が率先してステレオタイプだもんね。
高知では、そんなこんなの先を行こうとしてます。
で、今朝は南嶺。
久々に、プレート運動を体感してみる、RUN。
家から桟橋方面へ走り、西孕のセメント工場の前を通って、孕半島の東端へ。そこから、海津見神社の鳥居をくぐって、南嶺縦走のスタートだ。
写真は、その、南嶺に駆け上がる山道からの風景。向こうの右手に東孕半島が見える。東孕と西孕に挟まれた狭い海峡。浦戸湾が一番狭くなった所。
遥か向こうにうねうねした鉢伏山。仏像構造線は、こっから、あの南を走って東へと繋がっている。
さて。この海峡、今より海水面が100m以上低かった、二万年近く前は、渓谷のようになっていて、今より数十メートル低い場所を急流が流れていた。のではないかな。たぶん。僕の想像では、そうだ。
何故、連山が途中でブチ切れて、深い谷ができたのか。
何故、南嶺の北側が広く陥没し、盆地みたいになったのか。
色んな説がありますが、どちらにしてもプレート運動の結果であるのは間違いない。フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に南海トラフで潜り込む。それが造山運動を引き起こし、付加帯が興味深い地質を見せてくれる、高知県。
南海地震のたびに、室戸岬と足摺岬が隆起しているのは、幾度も幾度も、このにっこりで書いてきました。そしてその際。高知の中央部のこの界隈は、沈降する。昭和南海地震でも、1.2m沈降した高知平野。どんどん沈降する場所に土砂が堆積してできたのが、高知の城下の平野なのだ。そうなのだ。
で、東西に走る連山がここでパックリ割れて渓谷になった、その理由。これも色んな説があるが、最近は、室戸と足摺の下に固い火山由来の岩盤があって、それが下支えしているから、という説が有力にかありません。南から圧力がかかるが、東と西は固くて頑張っている。柔らかい真ん中部分にどんどんとストレスがかかる。そして、ポキリ。
いや、本当かどうかは、知りません。最近の説だそうですね、これ。
ともあれ、この写真の場所は、地学的に見るととても魅力的な場所、という訳だ。そう思いませんか?
そんなこんなで、南嶺を縦走し、吉野へ下ってぽかぽか温泉三昧。良いお天気。良い日曜日。