品川橋、品川宿、荏原神社、黄金の味〔5154〕2017/05/26
2017年5月26日(金)東京は、雨
そんな訳で今朝は東京。昨日、飛行機でやって来ました。結構ハードな1日を過ごし、夜は品川のホテルで寝ました。正確に申しますれば、北品川のホテル。4階建でフロントが2階にあり、エレベーターが無いという、今時?なホテルでしたが、旧東海道に面した部屋は快適でした。
何故、2階がフロントなのか。それは、東海道に面した部分が2階だから。
東海道は、ここでは概ね海抜4mくらいのところを南北に走ってます。で、すぐ東が急に下がっている。昔は、すぐに海だった。品川の海。
だから、東側が急に下がる、そんな斜面に建てられたホテルだったという訳だ。
写真は、目黒川に架かる品川橋の上から北品川方面を撮影したもの。雨の旧東海道を、自転車が走ってゆく。
この品川橋から北を北品川、南を南品川と呼び、藩政期に賑やかな宿場町を形成していたのはご承知の通り。
江戸時代の宿場、とくにこの品川宿には、遊郭のような機能も持たされておりました。遊女は、吉原だけに公認されちょりました。しかしそれだけでうまくいく訳もなく、各所の宿場に「飯盛女」という名目の女性を置くことが許されてました。で、その中でも最大規模であったのが、品川。江戸の町からしゅっと遊びに来れますきんね。
江戸時代が終わっても、昭和32年まで、赤線と呼ばれる歓楽街が残っていた、品川。今はその面影もなく、旧東海道の風情を楽しめる静かな街になっている、品川。
JRの品川駅は、本来の品川から言うと北も北。品川とは呼べんくらい北に所在します。鉄道線路が引かれる際、品川宿が、駅みたいなものができたら宿場が寂れる、と反対し、今の場所になったという。なかなか難しいもんだ。
で、品川駅から京浜急行に乗って南へ行くと、北品川駅という不思議なことになっています。
この品川橋の西、目黒川の北岸には荏原神社。
今は北品川に鎮座ましますが、元は南品川にあって、品川貴船社と呼ばれていたそう。源氏や徳川など、武家の信仰が篤い神様。
明治になって、ここが荏原郡であったことから荏原神社と名前を変えたと、ウィキに書いちゃあります。
荏原で思い出すのはエバラ焼肉のタレだ。エバラ黄金の味は名作で、ロングセラー。誰でも一度は食べたことがあると思う、エバラ黄金の味。
こないだ、日経新聞に、そのエバラ黄金の味が大幅刷新される、という記事が載ってました。なんでも、1978年の発売以来初めての大幅にリューアル。
これはね、食品メーカーとしてはかなりの勇気がいる決断。
たぶん、エバラ食品工業さんの中でも黄金の味は主力商品の一つだ。それを大規模に刷新する、というのは、本当に勇気がいること。味も原料も製法も見直し、果実のコクを高め、瓶を廃止してペットのラインナップを増やす。新聞にはそう書いちゃあります。
かなり、マーケティングリサーチもしたでしょう。専門家が検討を重ねたのは間違いない。
でも、難しいんです。
以前にもご紹介した、キリンビール元副社長の田村潤さん。高知支店長時代にどん底のキリンビールを復活に導き、その手法を拡大して行ってキリンビール本体の復活を果たしたすごい人。僕も、高知支店長時代、お世話になりました。
その田村さんの「キリンビール高知支店の奇蹟」という本に出てきます。アサヒがスーパードライを出してキリンビールを猛追する。そこで、キリンは、多額の費用をかけてマーケティングリサーチを行い、専門家が検討を重ね、これしかない、という結論を出してラガービールの味を変更した。ところがこれが大失敗で、みるみるうちにシェアを失っていく。そんな風景が、描かれていました。
そう。主力商品をリニューアルする、というのは、難しい。専門家が大規模な調査の上に決めても、大失敗する。市場とはそういうものだ。そんなこんなの食品の歴史を知った上で、エバラさんは黄金のタレを刷新するのであります。期待しながら見守りましょう。
エバラ食品工業さんは、昭和33年に創業した際の工場がここ、品川の荏原区につくられたので、エバラ。
そうか。昭和33年か。品川から赤線が消滅したのが昭和32年。赤線が消えた新生品川から生まれたのがエバラ食品で、エバラ焼肉のタレであった訳だ。