唐人町とにっこりひまわり〔5145〕2017/05/17
2017年5月17日(水)曇ってます
昨日の夕刊、見ましたでしょうか?高知新聞の。
一面、「話題」欄に、この、にっこりひまわりのこと、書いてくれてました。過分なるご紹介、ありがとうございます。
そう。もう、これを書き始めて14年以上になるんですな。で、あのコラムには「ネタにも困らない」と書いてますが、これはですね、同じようなネタを幾度も使い回ししたりしているから。
例えば。
写真は今朝、4時半の鏡川。昨夜、会合と飲み会だったので、いつもより少し遅くなってしまった。昨夜の会合では、高知を代表する豆腐屋さん、タナカショクさんの取り組みを、田中社長に語って頂いておりました。タナカショクさんには「唐人豆腐」という商品があります。その商品は、この写真の場所に由来する。
ああ。そんな話も、このにっこりで何度書いてきたことやら。そう。ここは唐人町で、その町名由来から豆腐製造に至る話は、何度も使い回ししてます。はい。
かいつまんで申し上げましょう。長宗我部元親が、秀吉の指示で朝鮮に出兵した際、慶尚道、秋月城主の朴好仁さん一族郎等を連れて戻って来る。そして関ヶ原後の山内時代になって、高知の城下町を建設するに際して、彼らをこの鏡川(潮江川)北岸の土手に集住させ、町役を免除して豆腐専売の特権を与え、68座の豆腐屋さんが並ぶようになった。なので唐人町。朝鮮の方々ですけんど、唐人町。
そこで作られる朝鮮風の豆腐は、日本のよりも固く、独特のもの。それを再現したのが、タナカショクさんの「唐人豆腐」という訳だ。こんな話、何度もやってるんで、ソラで書けます。
最近僕は、この土手に集住させて特権を与えたのは、城下町の水害対策であったのではないか、と妄想してます。つまり。
潮江川の増水から城下町を守る為、ここに堤防を築く。そこに特定の人々を集住させ、特権を与えるかわりに、堤防のメンテナンスを任せる。藩政期の小さな政府がよくやっていた常套手段だ。行政の支出を抑え、公共事業を行う。
一族の責任者には高い地位や名誉も与えられていて、立派なお墓も残ってます、筆山に。そのお墓を探した時の探検譚は、こちら。指がプラプラ。
あと、この風景で思いつくのは「のえくり」。幕末の慶応三年夏。この河原で繰り広げられた毎夜の「のえくり」。あまり知られていない、幕末土佐の、真夏の夜の夢。詳しくは、こちらを。すごいですよ。
そんなこんなで、こんなことばっかり書き続けて5145日。
話は戻って、タナカショクさんのこれからの取り組みは、独自性が強く高質な商品に特化していこう、というもの。ひまわり乳業も、同じ日配食品メーカーとして、考えることは似てます。
このにっこりを始めた当時から比べると、四国島外での販売比率は劇的に増えました。しかも当時は、某スーパーさんの、変哲のないPBが中心でしたが、今は、青汁「菜食健美」と「乳しぼりをした日がわかる低温殺菌牛乳」、「ヤギミルク」など、高知の一次産品にこだわった商品が中心。思えば遠くへ来たもんだ。
高知にこだわる為に、高知愛をほとばしらせる。その場が、このにっこりひまわりである、とご理解頂ければ幸甚幸甚。
これからもよろしくお願い申し上げます。