物部川、鮎、たたき寄席、ひまわり〔5144〕2017/05/16
2017年5月16日(火)晴れ!
雲は多めですが、心地良い朝。
写真は今朝、5時前の物部川。会社の裏、土手の上に出て、赤く染まり始めた方向を撮影しました。左手に三宝山のシルエット。
物部川では、昨日、アユ漁が解禁。解禁しましたが、今朝は静かな物部川。
物部川。以前にもご紹介したように、昨年までの6年間、鮎の稚魚を放流することをやめてました。それよりも産卵場を整備することなどの方が、鮎にとって良いのではないか、ということで。で、見事な成果をあげてきた物部川。
しかし今年は、3月の冷え込みと渇水で天然遡上が遅れたとかで、7年振りに放流。仕方ないんでしょうかね。そして昨日の解禁を迎えた訳だが、釣果は、心配していたほどは悪くなかったようで、まあ、ひと安心ですな。
昔は、今とは比較にならんくらい釣れていたという、鮎。鮎で思い出した話をひとつ。
僕が子供の頃、土佐料理の司提供、司亭升楽の「たたき寄席」というのをラジオでやってました。土佐に伝わるいろんな民話や伝承のたぐいを落語にして聴かせる番組。
い~ちじゃ~もの~お~い~ちじゃ~もの~ 司の料理はい~ちじゃ~もの~
き~てみ~や~あ~の~んで~みや~ 司の料理はい~ちじゃ~もの~
というやつですな。覚えてますか?
その音源を以前手に入れて聴いたことがあります。今、手元に無いので、あやふやな記憶を引っ張り出してみますれば。
その落語には、いごっそうはもちろん、てんくろう、どくれ、とっぽーこきなどの個性的な土佐人が登場します。
で、人からアユ釣り名人とおだてられ、今まで釣った鮎で一番の大物はでれくらいであったかを説明するのに、荒縄を釣り糸に、孟宗竹を釣竿にして鯨みたいな鮎を釣り上げた、と大ボラを吹くおんちゃんも登場しました。まあ、そんな鮎はおらんでしょうが、昔はもっともっといっぱい、大きなのが釣れていた物部川。
この対岸を北へ行くと深渕という地区。そこには、藩政期初期、「どくれの半四」という有名人がおりました。その人物の逸話も、たたき寄席の題材にどっしこ取り上げられておったことを覚えてます。以前、逸話の数々をご紹介しました。愛すべき土佐人だ。
そうそう。てんくろうの泰作さんが出てくる、あのコマーシャル。「てんくろうの泰作が、夫婦喧嘩をはじめまして・・・」というやつも、司亭升楽さんだ。
さて。
この物部川沿いに弊社が工場を建てたのは昭和40年。牛乳工場にとって重要な、豊かでキレイな水に恵まれていた、ということ。そして、この界隈が県下でも有数の酪農地帯になっていたこと、などが、ここを工場用地に選んだ理由。
高知県では初めての、見学通路のある最新鋭工場として作られました。そんなもの無い時代であったので、当時としては珍しい。
当時の社名は高知牛乳食品株式会社。ひまわり乳業になったのは、昭和46年のこと。主力商品が「ひまわり牛乳」だったことから、「ひまわりさん」「ひまわりさん」と呼ばれるようになり、それが社名になりました。
ひまわりという花は、高知の日差しによく似合う花。でも、花の名前が乳業メーカの名前になっている、という例は、他に聞きませんね。
高知で「ひまわり」と言えば、花ではなくて、牛乳。となったら、嬉しい。
おおの、嬉しいちや。あたしゃ、こっちのひまわりの方が、好きじゃきに。