変わる風景、変わらない人たち〔5140〕2017/05/12
2017年5月12日(金)晴れのち曇り
与力町。現在は高知市与力町だが、僕が子供の頃は南与力町。現在の竹下病院さんは、この写真右端に少し写ってます。が、新しい建物が完成し、来月の5日から新らしい竹下病院になってオープンします。ドカンと建った、新しい竹下病院さん。
その、新しい病院ができた場所は、ひまわり乳業の工場があり、本社があった場所。
昭和21年という戦後の混乱期、この場所に、牛乳工場ができました。土佐乳業、高知牛乳食品、ひまわり乳業と名前を変えながら、この市街地中心部で、牛乳工場をやっていたんでありますね。
南国市物部に大きな工場を建て、そこに工場機能を集約していくことになって、与力町は物流拠点と本社機能を残すだけになっていた。物流の拠点なので、早朝から夜まで大小のトラックも出入りしてました。
僕は、その工場で生まれ、中学生まで、そこに住んでいた。そう。あの、竹下病院さんが建つ場所で生まれ育ったのが、僕。
南与力町の町内の皆さんには本当にお世話になり、また、騒音等でご迷惑をお掛けしてきました。なんせ、工場ですき。工場でなくなっても、物流拠点ですきんね。それでも、町内会の方々は、本当に協力的に接してくださっていたのが有り難かった。
亡き父は、ここの町内会長をつとめ。僕も、今は住んでないにもかかわらず町内会長をさせて頂いてます。特別の思いがある、与力町。
竹下病院さんが、病院の建て替えを検討するに際し、しゅっと近所の弊社に声をかけてくれました。我々も、本社機能と工場の統合ももちろんですが、こんな町の中心部で住宅街に、物流拠点を置いておくのもいかがなものか、ということで、南国への統合移転を決断。
そして月日は流れ、新しい病院のオープンとなった訳です。
まあ、南側は、まだ弊社の駐車場「ひまわりパーキング」なんですけどね。
病院の北側の道路。ここは、昔、松渕川という堀川でした。西の、逆U字型の池から流れてきた松渕川は、ここを東進して現在の場外馬券売り場のところで左折、北進し、堀詰につながっていた。
ただ、ここが川であった記憶は、僕にはありません。僕が生まれた昭和36年頃は、まだ、川だったはず。
手元に昭和39年発行の市街図がありますが、確かに、ここは、川。小さい堀川と、その南に小さい道が描かれています。その松渕川の痕跡は、この樹木の下のお不動さんと、その向こうの駐車場。この道路の北側の駐車場は、そこが市管理の土地、つまり、川であった痕跡。お不動さんは、松渕川沿いに祀られたお不動さんだったのでありましょう。
松渕川は僕が幼児の頃に埋め立てられ、その細長い細長い土地は、市営の駐車場になった。
このように、風景はどんどん変わっていく。痕跡や記憶を残しながら、風景は、変わってゆきます。
でも、子供時代を過ごした懐かしい南与力町は、今も、あの頃と変わらないメンバーが、あの頃と変わらない声をかけてくれます。
文ちゃん、どうしゆうぞね?と。