坂出、雲井御所址と崇徳上皇〔513〕2004/09/10
2004年9月10日(金)曇り一時雨
今日は出張で香川。坂出市でございます。ひまわり乳業香川支店は、ここ、坂出市にあります。出張の時にはいつも便利の良い丸亀市に泊まるのですが、昨夜は坂出市に泊まってみました。今朝は、坂出市の北部、瀬戸内海に近い所を走る「さぬき浜街道」を東へ走りまして、「綾川」河口から川を遡行、写真の「雲井御所」址まで行って来ました。川の土手に咲く花々は、いつも走る鏡川の土手の植生とは違うちょりましてとても楽しかったです。花の写真も紹介したかったのですが、今朝はここ「雲井御所」。どうしても一度来てみたかった場所なんです。
平安時代末期、第75代崇徳天皇は、朝廷の権力争いのなかで保元の乱を起こし、後白河天皇に破れました。1156年のことです。そして、崇徳上皇は讃岐の国へ流されます。そして、9年過ごし、失意のうちに世を去りました。あまりに惨い生き方だったので、死後、その怨霊が朝廷に祟りをなすとの噂が広まったりしましたね。
ここは、崇徳上皇が仮の御所として過ごされた場所と伝えられちゅう場所です。讃岐の目代「綾高遠」の館やったらしいです。
都を想い、この御所の柱に歌を記しました。
ここもまた あらぬ雲井となりにけり
空行く月の影にまかせて
で、ここが「雲井御所」となったのであります。
江戸時代になって、判らんなっちょった雲井御所の所在を明確にし、綾氏の子孫を見守り人として祀りました。その際、石碑の前に大きい蘇鉄を2株植えたそうです。それが今ではご覧の通り。見事ですね。
ひまわり太郎は西行法師の人生を追いかける過程で、この崇徳上皇の無念の想いを知りました。西行法師が特に熱く仕えたのが崇徳上皇だったのであります。
ここの近くに「白峯御陵」という崇徳上皇の御陵があります。そこを訪れた西行法師が詠んだ歌がこれです。
よしや君 昔の玉の 床とても
かからんのちは 何にかはせん