高校生の天晴れ〔5128〕2017/04/30
2017年4月30日(日)良いお天気
とても良いお天気の連休2日目。とは言え、僕はお仕事。大阪で、お客様との打ち合わせがありまして、朝から車で行ってました。連休ということで高速道路が混んじゅうかも知れん、と思ってましたが、全然。まったく。すきすき。快適に走って参りました。
行きがけは僕が運転し、帰りは同行のTさんの運転。その帰りがけの車中で、このにっこりを書いてます。
写真は今朝、会社を出る前に僕の部屋で撮影したもの。日頃お世話になっているOさんが、僕が不在中に持って来てくれてました。ありがとうございます!
この冊子。高知県率東高校の生徒さんが、クラブ活動の中で纏められたもの。左端が2010年3月発行で、真ん中が2011年3月発行、右端が2012年3月発行で、それぞれの表題は次の通り。
幕末土佐の私年号ー「天晴」を検証するー
新田村の祠にすむ神々ー土佐国長岡郡西野地村三畠・陣山地区の場合ー
土佐国土佐郡一宮庄を往くー変わりゆく地名を追いかけてー
今、車の中で読みました。すごい。これを指導した郷土史クラブの先生もすごいし、その先生の指導に見事に応えた高校生諸君も、すごい。地元のことを、古い文献などを丁寧に当たって調べ、現地で検証、徹底したヒアリングを行う。これ、歴史学の基本だ。基本に忠実に、それをやりきる。すごい。
左端の「天晴」の検証については、高知新聞の記事にもなってました。当時。何かの賞を受賞したんだったと記憶します。
その記事に触発され、僕も、私年号「天晴」を幾度か検証することになりました。幕末土佐だけに存在した謎の私年号「天晴」。てんせい。
幕末も幕末、慶應三年(1867年)、つまり龍馬が暗殺された年、土佐のあちこちに「天晴」と記された灯篭や絵馬がある、というもの。
安田町神峯神社の石灯籠、安芸市春日神社の石灯籠、春野町御山所神社の狛犬台座、同じく春野町森神社の手水鉢、赤岡町須留田八幡宮の絵馬。
で、この、高校生が調べた冊子によりますれば、仁淀川町鈴ヶ峠の石灯籠、それに、南国市領石天満宮の石灯籠にも、天晴があるとのこと。これは行ってみなくては。
しかしまあ、詳細に丁寧に検証してます。で、昔、歴史民俗資料館の館長さんだった坂本先生の論文から、南国市出身の民俗研究科、高村晴着さんが明治22、23年頃に安田町神峯神社で堂守らしき男から聞き書した貴重な話を伝えている。
それによると。幕末、安田からも二、三の志士が上京していた。そのうちの一人から、「此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うの議、朝廷におこりたり」という知らせがあり、「来年は天晴と改元のある由なり」と二度ほども通知があったので、神峯神社の石灯籠に「天晴」と刻むことになったとのこと。
なるほど。
誰からの報告だったのか、どんな経緯での天晴であったのかは謎だが、何かの行き違いで、土佐に「天晴」が広がったことは、解った。
そんなこんなを、平成の高校生が検証し、冊子にまとめたことそのものが、天晴。
そして翌年も翌々年も、調べる、現地を見る、ヒアリングを行う、仮説を立て検証する、といった地道な作業を行い、冊子に纏めてます。
指導者と実行者の思いが一つになった時、素晴らしい結果が生まれる。それを目の当たりにした出来事でした。
いや、良いものを見させて頂きました。