弥生集落と宇治川対策〔5094〕2017/03/27
2017年3月27日(月)薄曇り
昨日は、飲みましたぞよ。いっぱい。
昼間は、高知市のI副市長さんの送別花見。堀川沿いの道場で、ぐっすりとやりました。桜は一輪も咲いてませんが。3年の予定で経済産業省から出向して来られたのが、経済産業省の都合で、2年で帰ることになったとか。
まあ、高知を楽しんでいただけたとは思います。昨日も高知風に飲めたことだし。お疲れ様でした。
で、夜は、県庁を退職して大阪で病院の事務長さんをやることになったT君の、送別会。なかなかの決断ですね、これは。年齢は僕の一つ下。高校のクラブの後輩でラッパ吹き。大阪で、有名な先生についてレッスンを受けながら音楽活動を続ける、というこれまたなかなかの決断。
そんなこんなで、身体は昨日のアルコールでこたやかされちょります。が、頑張って仕事だ。
ここは、いの町枝川。仕事で行ってました。枝川の国道は、慢性的渋滞区間でしたが、あの山沿いにバイパスが開通して、随分とすきました。
で。
あのバイパス工事の際、弥生時代中期の高地性集落、竪穴式住居後群の発掘調査が行われました。結果、南四国最大級の高地性集落であることが判明した、ということで、2011年2月20日のにっこりでご紹介してます。
その後も調査は行われ、軍事目的の仮住まい、と思われていた高地性集落の有り様が、実はそうではなくて恒久的な集落であった、ということがわかってきました。
手前の川は宇治川。
過去、幾度も氾濫を繰り返してきた、川。仁淀川に流れ込む短い河川ですが、なかなかの暴れ川。そんな訳で、改修工事が何度も行われてきてます。あの山の下を抜く放水路もつくられましたが、それでもまだ、氾濫する。
そこで今、新宇治川放水路という、大きな放水トンネルであの山の下を抜く工事が行われていると言います。
弥生時代、便利の良い低地に住まず、山の、少し広くなった緩い斜面に集落を築いたのは、宇治川の氾濫対策だったのか。
バーガ森北斜面遺跡が発見されたきっかけは、宇治川改修工事で出てくる土砂を眺めていた地元のおじさん。何か、ピンとくるものがあったのか。土砂から何やら遺物がでてくるのを見つけたのが、遺跡発見につながった。
その遺跡は、宇治川の氾濫を逃れて斜面に上がったのかも知れない集落遺跡。
でも、枝川の肥沃な土壌は、宇治川氾濫のおかげであった訳で、どちらにしても、この川がここを流れることに起因しながら、人類の歴史が刻まれてきたと言えましょう。自然と、どう、折り合いをつけ、暮らしていくのか。バーガ森北斜面遺跡は、そんなことを、僕らに教えてくれる。