丸山台とジョン万次郎とミルク〔5074〕2017/03/07
2017年3月7日(火)晴れ!
春。
昨夜は、「土佐のおきゃく」の一環で、土佐料理司本店様にて開催された「司の夜楽」というのに参加してました。特別講師は、この4日に開館したばかりの高知城歴史博物館館長、渡部淳様。新しい博物館の楽しみ方と、高知の城下の歩き方をたっぷり聴かせてくれました。司渾身の、春をテーマにした食事と一緒に。おいしかったです。
高知の城下街の歩き方については、出席された皆さん、興味深げに聴いておられましたです。なるほど!てな感じで。概ね、僕もこのにっこりで書いてきた様な面白い内容。
で。ひとつ、それは知らんかった、という話がありました。迂闊にも。
丸山台の話。
浦戸湾に浮かぶ小島、丸山台。板垣退助がヨーロッパから帰ってきた際に、丸山台ので大宴会をしたのは此君亭なのかどうなのか、という謎の話もご紹介してきましたし、僕も、大潮の干潮時に徒歩上陸も何度かしました。あの島。
以前にも、地質的には、鏡川が運んできた土砂が堆積してできた島だろう、てなことを書いた記憶があります。上陸してみると、そんな感じですもん。岩石などの露出もなくて。で、自然に土砂が堆積してできた島、という認識だったのであります。
ところが。
渡部館長の話では、丸山台は、人工的にできあがった島である、とのこと。おう。目からウロコ。別に、現在の弘化台みたいに人工島をつくろうとしてつくられた島という訳では、ない。藩政期の、先人の知恵と努力の賜物なんですな。
つまり。
鏡川(当時は潮江川)の治水は、高知、つまりは河内に建設された城下町にとって、最優先課題。水丁場が置かれ、堤防が築かれるなど、様々な対策があれでもかこれでもか、と言うばあ、実行されてきました。藩政期を通じて。
その治水対策のひとつに、鏡川(潮江川)の浚渫、というのが、あった。
川に上流から流れてきた土砂が堆積して浅くなると、氾濫しやすくなる。そんな訳で、大勢の人間を動員して、定期的に川底を浚渫する作業をしていた、と言います。その、浚渫した土砂を堆積させたのが、丸山台、という話。なるほど。
明治から昭和初期にかけて、料亭遊びで賑わったという印象しかない、丸山台ですが、そんな経緯でできていたのか。
なので、藩政期中頃までは、存在しなかったそう。勉強になりました。
土佐の歴史と言えば、土佐人として、初めて、牛乳を西洋風に楽しんだ人物は。ご想像の通り、ジョン万次郎さんだ。この話は、渡部館長、ご存知だろうか。
フェアヘブンで学校に通っている頃、捕鯨航海に出ているホイットフィールド船長に書き送った手紙に、こんな文章がある。
「昨年は50ブッシェルのりんごと115ブッシェルのじゃがいもと8~9トンの枯れ草を収穫しました。そこで、枯れ草のうちの3~4トンは売りに出しました。牛乳もたくさんあります。このおいしいミルクをあなたにさしあげたくてなりません。」
ミルクのおいしさと、万次郎のミルク好きが伝わって来る文章。
ああ。
牛乳が飲みたくなった・・・
この、懐かしいコップで。