あんなことやこんなこと〔5030〕2017/01/22
2017年1月22日(日)晴れ!
良いお天気。暖かい日曜日。
朝、五台山を走ってきました。今日は、あちこちでランナーを見ます。皆、龍馬マラソンの練習でしょうね。頑張れ頑張れ。
今日は一気に展望台のところまで駆け上がり、駆け下って牧野植物園。年間パスを持ってますのでいつでも入れる牧野植物園。南園を突っ切るように東へ下っていくのがお馬路。そのお馬路を駆け下る。
そう。幕末、竹林寺南坊住職、エリート純信のところに、麓の鋳掛屋の娘、お馬が通うた路、お馬路。通うたのは下働きのアルバイトであったのが、いつしか、デキてしまった二人。
そのお馬路を東へ下っていくと、サギのコロニーを過ぎた所で道は二手に。右は、そのまま青柳中学校の方へと下る道。左は北の方へと上がっていく道。たぶん、お馬さんは、そちらを通った。僕も左の道を選び、しばらく上り坂を走ると、五台山北斜面に出ます。それを東へ下る。
今日の写真は、その道から撮影した風景。
眼下に広がる高須の風景。
手前の、山の中に見える岩。赤いおべべを着ているのは石仏。そして、その岩が「お馬岩」。幾度かこのにっこりでもご紹介してきましたな。言い伝えでは、あの岩で、純信とお馬が、あんなことやこんなことをしていた、となっちょります。どんなことかは知らんけど。
この道を下っていくと、道はいつくかに枝分かれしますが、土佐藩初期の碩学、小倉家の墓所を通って下りていく道は、お馬さんちの真横に出ます。たぶん、その、一番近い道を毎日歩いて通っていたお馬さん。
そして、お寺の皆さんや、山尾歩く人々の目を盗んで、あの岩で、あんなこととかこんなこととか。
確かに、この道からは少し外れている。しかし、こんな遠くからもあんなに目立つ岩ですきんね。
しかも。
あの石仏は、五台山全域を利用したミニ八十八ヶ所の、石仏。純信お馬の時代には、もう、あったと思われる石仏。お参りに来る人も居たでしょう。
そう言われてみると、逢い引き現場としては、ちくと目立ちすぎる気もしてきたぞよ。
あの岩の近くのみかん畑の中に、明石掃部の墓という伝承の墓石があります。大河ドラマ真田丸にも、明石全登という名前で出てきたキリシタン武将。大河ではなかなかの重要な役回りであったにかありません。彼は、大阪夏の陣で討ち死にした、という説もあれば、南蛮に逃れた、という話も、ある。そして、土佐へ落ち延びた、という伝説も、あるんだ。あまり知られちょりませんが。
ちなみに明石掃部の洗礼名は、ジョアン。ポルトガル語で、ジョアン。
ジョアンは、英語ではジョン。聖書になると、ヨハネだ。洗礼者ヨハネは、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人物。イエスの12人の弟子、12使徒の一人にも、ヨハネ。洗礼者とはまったくの別人。
ヨハネよる福音書を書いたのは、また別のヨハネにかあらんので、紛らわしい。が、今もジョンが非常にポピュラーな名前であるように、ヨハネくんもたくさん居たんでしょうね。
ちなみに、今読んでいる「パウロ」は、英語ではポール。
ヨハネ・パウロ1世、2世という教皇がおりましたが、彼らは、ジョン・ポールなんですね。ビートルズみたい。
で、イエスの12使徒に、ペトロという人物がおりましたが、英語にするとピーター。
ピーター・ポール&マリーは、ペトロとパウロと、それにマリア様だったのか。
全然関係ないですが、突然、ケペル先生思い出しました。僕らが子供のころにあった、ものしり博士という番組で色々とうんちくを垂れるケペル先生。
こんな動画、見れるんですね。いや、懐かしい。今見てもなかなか秀逸。
ケペル先生、どこの国の人だったんだろうか。