ゆかりの「牛」〔5012〕2017/01/04
2017年1月4日(水)晴れ!
今年初めての潮江天満宮。今朝も暖かく、全然シビコオらないお正月。
新年4日目の潮江天満宮。ここは高知県で最も初詣客の多い神社なので、昨日までは大変な賑わいだったと思います。
今朝は、これから、仕事始めの会社関係の方々が大勢訪れるんでしょうね。この時間(朝4時)、いつもは閉まっている拝殿の扉も開放され、お札などを販売する売店には煌々と明かりが灯り、警備員さんが見回っておりました。
右手前方が、その拝殿。
参道のこの場所には、参道を挟んで左右に牛の臥像。天満宮ゆかりの、牛の臥像。菅原道眞公と牛は、かなり関係が深かったという伝承に基づき、太宰府天満宮や北野天満宮をはじめとして、全国の天満宮には臥牛像が見られます。ここ、潮江天満宮には、この場所の左右2頭と、拝殿左奥の親子牛で合計4頭。
説明には、こう書かれておりますね。
「牛は民間信仰として「安産・身体壮健・健康増進」等が伝えられています。
また「撫で牛信仰」が伝えらており、牛を撫でると災禍を除き健康を招くといわれ、さらに合格祈願にも御利益あるといわれています。」
そもそも、何故、菅原道眞公と牛は縁が深いのか。
これも色んな話があるにかありません。
有名なのは、これ。
「道眞公が大宰府で薨去した際、そのご遺体を車に乗せ、牛が引っ張った。しかし、途中でその牛が座り込んで動かなくなる。仕方ないと言うか、神の思し召しと言うか、まあ、仕方ないので、その場所にあった安楽寺さんというお寺に埋葬することになった。」
いくらなんでも、そんな行き当たりばったりなことは無かったでしょうが、まあ、そんな伝説も、ある。
どちらにしても、大宰府の安楽寺が、道眞公が葬られたお寺であるのは事実。
神仏分離令と廃仏毀釈運動の中で、その、大宰府の安楽寺は廃寺になってしまったそう。ガイなこと、したもんだ。
高知にも安楽寺というお寺があります。道眞公左遷の際、道眞公嫡男の菅原高視さんも土佐介に左遷される訳ですが、その高視さんによって創建されたとされるのが、この潮江天満宮と、高知の安楽寺なんですね。今は薫的神社さんの東隣にある安楽寺さん、元々は潮江にあり、升形、久万と場所を替えたり一時的に廃寺になったりする紆余曲折の末、明治8年に現在地に遷ったとされる安楽寺。
四国88ヶ所の30番札所の座を巡り、一宮の善楽寺と裁判で争った話は、以前も書いた安楽寺。
その安楽寺も、道眞公ゆかりだったのか。
ちなみに、その安楽寺は、うちの菩提寺です、はい。
「ゆかり」で言えば、道眞公は丑年であったと言います。845年生まれなので、調べてみると、確かに丑年。僕は1961年生まれの丑年。道眞公とは93まわり違う、丑年なんですな。
もちろん弊社は、牛のおかげで商売させて頂いております。
なので、今朝も、この牛を撫で、牛の知恵を頂戴して参りました。
良い一年になりますように。